マカオ 世界遺産の旅

Ruins de St.Paul's (Macau)

 直行便のないマカオへわざわざチャーター便でやってきたというのに、マカオ観光に当てられた日は3日目が最初で最後だ。今日一日はマカオの世界遺産を中心に見て回り、日付が変わる頃に再びチャーター便で日本へと帰る。

 マカオは、明代の1557年にポルトガルが明から一応は平和的に居留権を得た土地だとされている。もっとも、「平和的に」と言うのは流血の争いを伴う事無くと言う意味であって、ポルトガルの武威を背景にした恫喝めいた交渉が行われなかったことまでは証明されるものではないらしい。ともあれポルトガル人が入って以後のマカオは貿易港として繁栄。鎖国以前の日本との結びつきも強かった。後に完全にポルトガルの植民地化したが、1999年には香港と同じように中国へ返還されている。

 正式国名は中華人民共和国澳門特別行政区。中国本土と陸続きのマカオ半島、南側にあるタイパ島、コロアネ島から成る。住人の多くはマカオ半島に住み、都市機能・観光地とも半島側に集中している。二つの島では農業も行われ、こちらにあるのは田畑と住宅が中心だ。「澳門」は現地でよく見かけるマカオを意味する漢字表記の現地名だが、字面から薄々見当がつくように本来の読み方はマカオではない(ちなみにIMEの最近のバージョンではマカオと入力すると澳門に変換できるようになっている)。北京語は知らないが広東語では「オウムン」と読む。マカオと呼ぶ場合、アルファベット表記はMACAUとなる。これはポルトガル語由来との事。面積は26.8平方キロメートルで東京都の新宿区にほぼ相当する。ただし、マカオでは盛んに埋め立てを行っているようなので、最新のデータではさらに広がっている事が考えられる。人口は約45万人。人口密度は1平方キロメートル当たり2万5000人にもなる超過密状態だ。ポルトガル語、広東語、北京語を公用語とし、通貨単位はパタカ。

 カジノ産業が名高く、「東洋のラスベガス」とも呼ばれる。カジノのディーラーは普通のサラリーマンの月収に倍する収入を持つ花形職業だ。カジノからの税収は莫大な金額にのぼるため、マカオの政府は金持ちだと言われており、公共事業に景気よく資金を投入したり、国民の学校教育にかかる費用を国が全額負担したりと、カジノはまさにマカオ国民の生活を支える基幹産業となっている。

 さて、マカオの世界遺産といっても結局はセントポール天主堂跡によって止めを刺される。禁教やら鎖国やらで日本を追われたキリシタンもこの建物の建築には一枚かんでおり、私は記憶にないけれど、この建物は日本史の教科書にも載っているという話である。この日最初の目的地もここだった。

 現在の天主堂跡は、残念ながら前面部にあたる石造りの壁が残されているだけだ。建物の主要部分は木造だったため1835年の火災で焼失してしまったと言われる。従って、あまり気負って見学に向かうと拍子抜けしてしまうほどのものであり、口の悪い人の中には「これで世界遺産とはインチキだ」とまで言う人もいるようだが、この天主堂が世界文化遺産に登録されたのは、ポルトガル人、中国人、日本人、異人種も異教徒も合い争うことなく共存した世界でも稀有な歴史を持つマカオを象徴する建物であるという事が大きい。現在も残る天主堂の壁面は一応キリスト教建築のはずなのだけれど、よく見ると狛犬がいたり、「死んだらみんな仏様」の日本的思想が表現されていたり、中国文化の表象もあったりと、異文化が融和し、と言うよりごった煮状態で共存している。壁面の上部には骸骨や龍のレリーフがあり、その傍らには共に漢字で書かれた碑文が刻まれているが、文法的に見て骸骨側が日本文、龍側が中国文となっている。不覚にも骸骨側の文章は控えていなかったのだが「死者云々」と刻まれていたはずである。龍の方には「聖母踏龍頭」とある。日本語の文章なら主語+目的語+動詞となり、中国語文は主語+動詞+目的語と言う文章構造になる。

 このある種グロテスクな建築様式がマカオの世界的にも稀有な歴史的・文化的背景を象徴しているというわけである。和洋中折衷の天主堂は、異教徒や異民族が互いを排斥しあうことなく、むしろそれぞれの文化的背景を認め合ったマカオだからこそ出現した建造物だった。広島の原爆ドームにしても、それ自体は朽ちかけた建物に過ぎないけれど、核兵器の惨禍を物語る歴史の証人として世界遺産となったのだ。それと同じ理屈である。セントポール天主堂を見学する時、そういう視座を持っていないと結果的に自分が損をする事になる。

 セントポール天主堂に面する丘にはモンテの砦があり、ここにはかつてオランダ軍を撃退した大砲が置かれている。また、キリスト教会である天主堂から至近の距離に道教系の寺院であるナーチャ廟があるのもマカオ的な風景と言ったところか。こちらで祀られているのは西遊記や封神演義に登場するナタク(ナタ太子)で、現在も子供の守り神として中国系の人から人気と信仰を集めている。ガイド氏は日本人には馴染みがないだろうといっていたが、近年はマンガやゲームの影響で日本でも知名度が上がりつつある神様だ。廟には中国語で「風火輪」がどうのとか「乾坤圏」がどうのと書かれており、その道の愛好家ならなら思わずにやりとさせられてしまうだろう。

 セントポール天主堂、モンテの砦と見学し終え、セナド広場へと向かう。天主堂から広場へ通じる石畳の道はあまり広くなく、沿道には雑然として商店が並んでおり、古いマカオの街並みの雰囲気をよく残しているのだそうだ。細くうねるような路地の先に広場があり、広場に教会があるのは伝統的な街割らしい。宗主国だったポルトガルがそうなっているのかしらん。セナド広場周りでは、聖ドミンゴ教会と民政總署、議事亭などを見学。呼称が横文字と中国語のチャンポンになっているのは、実際に現地を歩いていた時にどこが何なのかを把握しきれていなかった関係による。いずれの場所も、歴史は感じさせてくれるが圧倒的な迫力を持った建物と言うほどではなかった。強いて言うなら、マカオでも最も格式のある教会らしい聖ドミンゴ教会は、歴史の古い教会に接する機会のない日本人には新鮮かも知れない。独特の荘厳な雰囲気がある。





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