樟の木は残った・国道41号線異聞

 国道41号線は、名古屋市と富山市を結ぶ道だ。その起点からいくらも行かない東片端の交差点、そこからさらに少し進んだ名古屋都市高速東片端料金所の並び、道行く車を見下ろすようにそそり立つ一本の古木がある。以前は樹種も良くわからなかったのだが、どうやらクスノキであるらしい。ちなみにクスノキは名古屋市の木である。幹周りがかなり太いから、見た目にも相当の樹齢を重ねている事が分かる。実際、樹齢は350年を数えるのだそうだ。さらにこの樹には注連縄も締められており、ひょっとして何かの御神木か神樹の類なのではないかと想像をめぐらせるのは難しいことではない。

 明らかに車の通行の邪魔になる位置に、なにやらいわく因縁のありそうな大木が一本。これだけの条件がそろえば、道行く人が昔から語りつくされた感のある一つのストーリーをつむぎだすのは容易い。それは例えば以下のような話だ。

 高知県安芸市の国道55号線中央分離帯には場違いな木が一本、立っているのだそうだ。なぜそのような事になったのかといえば、木を切ろうとして死人が出たからだと言われている。あくまで巷の噂に過ぎない内容だけれど、「噂」によれば死者は一人きりではなかったようだし、道行く車が運転を誤ってこの木に突っ込んだ時にも、木は折れることも枯れることもなく生き残ったという。

 こういった話は、それこそ枚挙に暇がない。古くは「三国志演義」の中でも曹操が神木を切り倒そうとして病死するくだりがある。曹操がこの木に向かって剣で斬りつけたところ血の様に真っ赤な樹液が飛び散り、それはさながら彼の悲惨な末路を暗示するような出来事として演出されていた。「正史」の頃から見られる話だとすれば(というか史書の方にこの記述があるとすれば)1800年以上も前に「切ると祟る木」の話が存在していた事になるが、多分「演義」で後付されたエピソードなのだろう。だとすれば700年ばかり昔に作られた話となる。ちなみに私がこの話を読んだのは、実を言えば横山光輝三国志だったのだが、さすがに横山光輝(あるいは吉川英治)による脚色ではないと思う。仮にそうだったとすると、えらく最近になって言い出された話ということになってしまう。まさか将門首塚の祟り話に影響されて付け足されたようなエピソードでもあるまい。最後には神通力を失っていたようだが、羽田の大鳥居の話もあった。

 ひるがえり、名古屋の話。最初にこの木の事を記事にして以来、木の祟りの話を調べているらしい人の訪問を受ける事が幾度かあった。「あの木は何ぞや、下手に手を出すと祟るのか」と考えて色々調べものをしているうちにこちらへ迷い込んで来たのだろう。現実に木が祟るとは到底思えないが、一部には祟り話も存在しているようである。ただし、それは都市伝説というほど幅広く認知された話でもない。

 こちらのページの中ほど「自然破壊に挑戦する御神木」という見出しで始まる一文の中に「名古屋市東区東片端の国道41号線の御神木です。道路拡張のため切ろうとした人が5人も死んでいます」という記述がある。どういう趣旨のページなのかはよく分からないが(多少の宗教色はあるようだ)、5人死なせたという話のソースは「一宮巡拝新聞18号」なるもののようにも見える。タイトルからして、宗教色の強いものであろう事が伺える。そういう新聞なら「御神木が祟った!」というような話を無批判かつ裏取り無しに掲載したとしてもおかしくはないだろう。

 逆に、私が楠の残った経緯を調べるにあたって参考にした資料の方には、そのような怪しげな噂は一切記載されていなかった。地域の歴史をまとめたどちらかというとお堅い文献だったので、例え実際に国道工事関係者が5人死んでいて、それが木の祟りによるものだと噂されていたとしても、そのような怪しげな情報はおくびにも出すまい。大筋、次のような形で紹介されていた。
 
 東方端の大楠はやはり年経た大樹ということもあって地元の人からは大切に敬われてきた。あまりにも立派な木なので、41号線工事のときも「なんとかして木を残せないか」と地元の人が保存に骨を折り、今に至っているものである。物の本によると反対側の登り斜線の方にはイチョウの大木をも残していたそうなのだが、これは台風で折れてしまいどうにもならなくなったようだ。10年ほど前の名古屋郷土史本を見る限りだと、楠と並んで普通にイチョウの話が出てくるから、その頃まではイチョウの木も残されていたのだと思う。ネット検索では意外にこの辺りの経緯がはっきりしない。

 ちょっと話が横道にそれたが、結局楠の木は祟ったのか。結論というほど大それたものではないが、結局の所は祟りなどという現象があるはずはない。あるのは「この木は祟る」という噂だけである。それを信じようとすると「一宮巡拝新聞18号」の記事となり、否定しようとすれば私が参考にした郷土史本の記述となる。個人的には公的な文書のあるべき姿勢としては後者の方がより正しいような気がするが、人の思い一つでこのような差が生じてしまうところが面白い。























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