うろ覚えでトトロ

 昔、今をときめく宮崎駿監督の作品で「となりのトトロ」というのがあった。映画序盤がどうだったかは忘れてしまったが、主人公の少女が妖怪とも妖精ともつかない謎の生物(というか生物と言って良いのかどうかも分からないが)「トトロ」とその仲間の「ネコバス」の力を借りて行方不明になった妹を探しに行くという物語である。

 何年か前に、「2ちゃんねる」オカルト板のとあるスレが「『となりのトトロ』は死後の世界のお話」というような話題で盛り上がっていた。ここ1年半くらいはオカルト板を見ていないので、それ以前の話であろう。当時の内容的に、より厳密には、「主人公姉妹は実は物語の途中で死んでいた」とするのが正しい。世の中のあらゆる事象をオカルトへと昇華させてしまうオカルト板住人、思想や視点も自然と似通ってくるのか、そういう見方をしている人が存外多かったということらしい。最近ではそういう解釈が一種の都市伝説のごとく扱われるようになっているらしいが、当時これが噂話の類という風に認識されているということはなかったような気がする。基本的には「そういう風に解釈する事もできる」というレベルだった。

 そのときのスレ住人は、「姉の方がいつ死んだか」というポイントの検証に熱を入れていた。妹の方が池で溺死したのは鉄板だが、姉の死んだタイミングが難しい。物語のラストで母親は姉妹の気配を感ずれども姿を見ることが出来なかったのでそこまでには二人死んでいたことは間違いないが、姉はわりと後の方まで一般の生者と普通に接触を持っていた。そこで「トトロに助けを求めた時点で魂を引き換えにしていた」、「ネコバスに乗り込んだ時点で彼岸に入った」、「死後も成仏できずにさまよっていた妹の魂を見つけ出し、最後に愛する母親の姿を見に行った」という脅威の暗黒展開が導き出された。もともと正体不明の生物が出てくる超自然的な物語だから霊界でもあの世でも何でもありだろうが、そういう世界の中で一定の整合性を保った裏解釈が可能になったものだから、住人たちは盛り上がっていたのだ。

 最近ささやかれている噂も概ねそういう雰囲気のものらしい。もっとも、「途中で死んだ」のではなく「父親が死んだ娘たちを偲んで小説にした物語」と見る向きが優位のようだが、あまりそういう雰囲気でもない気がする。「小説」説は映画中の描写から丁寧に導き出したという雰囲気ではなく、第一「トトロの主人公二人は死んでいる」という説に丸乗りしただけで面白味に欠ける。まあ、往年の人気子供番組「ひょっこりひょうたん島」が実は死後の世界の物語だったというのが、他ならぬ作者の井上ひさし本人によって公表されているぐらいだから、「トトロ」も実際どうなのかは分かったものではない。

 おふざけはこのぐらいにしておく。実際にスタジオジブリに対して大真面目で「トトロは死神ではないのか」とかいった類の問い合わせをした人がいたようだが、ジブリ側は「そんなことありませんから(笑)」というような返答を出している。が、こういう解釈が生まれてくる背景にあるのは「サザエさん」や「ドラえもん」の黒設定を生んだのと同じ心理だと思われる。夢があるだけの話にミソをつけてみたくなる感覚だ。ただし、「トトロ」の場合の方がその読み解き方は精緻だとも言える。「ドラえもん」等の最終回の話が今よりも先進性のようなものを持っていた時期、この噂は「小学生を中心に広まっている噂」だと言われていた。「トトロ」の場合、そこは少し違っているような気がする。「ドラえもん」「サザエさん」の場合は「作品中でこうだったからラストはこうなる」というような裏づけが一切なかったが、トトロの場合はそれなりに分別のある層によって推敲された話が拡散していったものではないか。もっとも「父親が亡くなった子供を偲んで書いた小説」というひねりも考えもない解釈に落とし所を求めるのは安直だとも思う。「トトロは死後の世界」説の楽しみ方は、推理ゲーム的なものから単なる怪談話に対するそれに変わって行ったのだろうか。話の裾野が広がった結果として発生した現象の可能性もある。

 まあ何にせよ所詮はブラックジョークの域を出ないような話なのかもしれない。
























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