人死にが出る

 8月の終わりごろ、「伝染歌」というホラー映画が封切られたようだ。「歌うと死ぬ」という呪いの歌をテーマにした映画なのだそうで、そういう言い方があるのかどうかは知らないが都市伝説物のホラーということになるのだろう。封切後にあまり話を聞かなくなったところを見ると、興行的には苦戦しているのかもしれない。企画および原作は秋元康で、映画は「暗い日曜日」騒動の翻案…というよりかなり大きく脚色したものなのだという。だからか、映画の公開前後の時期には「暗い日曜日」がらみのエピソードを探しているらしい人の訪問が多く見られた。

 一応説明しておくと、「暗い日曜日」はもともとはハンガリーの歌で、本国ではこの曲を聞きながら自殺する者が続出したと言ういわくつきの歌でもある。以前は「シャンソンだ」と説明していたが、厳密にはどうもそうではないらしい。歌っていたのがシャンソン歌手のダミアだというだけである。この歌の不気味な履歴を警戒した日本の当局は、歌が自殺を誘発する要因になるのではないかとして、国内での発売を禁止している。昭和8年(1933)のことだった。間の悪いことに当時の日本には、自殺ばやりの風潮があった。都市伝説のジャンルでは、この辺りの経緯が少しずつ誤解を受けたのか、「聞くと自殺する歌」とされることが多い。

 過去に「暗い日曜日」現象を調べていて一つ分かった事がある。「他の自殺者の動向に影響されやすい」という自殺者の心理(生理)だ。以下、以前にまとめた内容を適宜抜粋しながら説明する。

 例えば、自殺に関する精神医学界ではちょっと知られた話らしいのだが、ウェルテル効果というものがある。ゲーテ作の「若きウェルテルの悩み」にちなんだもので、この物語のラストでは主人公ウェルテルが拳銃自殺を図るのだけれど、本が出版されて間もなく、ヨーロッパ各地で作中のウェルテルを模倣して自殺する若者が続出したと言われる。それこそ「暗い日曜日」ではないが、この本を発禁処分にしたり、すでに出回っているものを回収した国もあるという。「暗い日曜日」を聞きながらの自殺も、現象の根っこにあるものは「ウェルテル」と同じなのだろう。

 自殺には連鎖性と模倣性があると言われる。これまでの自殺研究の成果として、誰かの自殺の情報は、「自殺しようか、それとも生きようか」という葛藤の中で危うい生を送っている人に危険な影響を与えるというのが半ば常識化しているという。アイドルが飛び降り自殺したと報じられれば同年代の少年少女の自殺が相次ぎ、普通の少年でもいじめを苦にして首吊り自殺をしたと報じられれば、同じような境遇にある年少者がやはり首をつって自殺をする。いじめ自殺は2006年の末に流行したが、10年前にも同じようないじめ自殺の流行はあり、さらにそこから一昔前にも同様の風潮はあった。

 実は「暗い日曜日」群発自殺の話も、こうした現象の延長線上にあるのかもしれない。死にたがっている人たちの前に、飛び降りなら飛び降りで、首吊りなら首吊りで自殺を成し遂げた人の情報が提供されれば、自殺志願者は「あのようにすれば簡単に死ねるらしい」と考えるようになり同じ方法を用いて自殺を図る危険性が増す。しかし模倣自殺の場合どういうわけか、死に至る具体的な手段ばかりでなくそのシチュエーションまでも真似しようとする傾向も見られると言う。その時の自殺者の心理については、これまたさらなる研究が必要になりそうだが、とりあえず「暗い日曜日」をキーワードにした群発自殺は、そういう視点から臨めばさほど特異な自殺の事例ではない。

 最近疑問に思うことがある。そういう取り扱い注意の危険な話題である自殺の話なのだけれど、マスコミはかなり安易に自殺事件を報道しているような気がしてならない。「誰かが自殺した」というニュースを報じる事にどれだけの意義があるのか、それは新たな自殺者を生み出す危険を犯してまで伝える価値のあるものなのか、考えてみるとよく分からなくなるのだ。「自殺の連鎖」。何となくそういうものがあるらしいとは言われながら、今のところはそれが動かしがたい事実であるとも断定されていないのが悩みどころである。仮に公共の電波が死にたいほど心が疲弊している人たちを死へと誘っている可能性を想像すると、結構不気味である。

 さて、今回の本筋には全然関係ないのだけれど、元記事にもあった「死の案内人事件」のことを再掲しておく。日本で「暗い日曜日」が発売禁止とされる遠因となった事件である。当時の日本の自殺流行りの状況は、どうやらこの事件に端を発するようだ。

 ある女子学生が二人連れ立って大島の三原山火口に向かい、一人はそのまま火口に飛び込んで自殺を遂げていた。そして一人は生き残った。しかし、やがて一つの奇妙な事実が浮かび上がってくる。生き残った方の女子学生は、ほんの数ヶ月前にも同じように友人の一人と大島の火口に赴いていて、その時も友人を見送り、自分は生き残っていたのだった。なにやら猟奇的な香りのするこの出来事には当時のマスコミも競って飛びつき、この事件は世間の人々の耳目を集めるようになる。もちろん、自殺志願者も例外なくこのニュースを知ってしまったものだから、結果的に大島自殺は大流行してしまった。昨今の自殺系サイト練炭自殺に近いものがあるが、大島自殺の場合は前年比が数十倍とか数百倍とかになるような、そういう極端なレベルの自殺者増だった。当時はもともと不況に起因する閉塞感に支配された時代だっため、本来は他の場所で自殺するはずだった人たちが大挙して大島に押しかけただけなのかもしれないが、「暗い日曜日」発禁処分の背景にはこういう世相もあったと言うわけだ。

 ちなみに二人の友人を死の淵へと伴った女学生の件は、当初想像されていたほどの怪奇性と猟奇性のあるものではなかった。彼女は、最初の一人には女同士の友情から見届人として同道したのだけれど、自殺の真相については口外しないよう友人から口止めされていた。ところが、うっかり口を滑らせてそのことを友人の一人に話してしまった。その友人は、「自分の言うことを聞かないと、自殺の事実を言いふらす」と言って女学生を恐喝し始めたのである。そして女子学生を半強制的に自分の自殺の見届人にしたてあげたのだった。

 こういうことを書いているとやはり「自殺の連鎖」というのはかなりの確からしさで存在する現象のような気がしてくるのだけれど。
























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