南国を駆け回れ

 明けて3月10日。今日は車を借りた後、一日かけて鹿児島県内を駆けずり回り、戦国時代の古城を見学した後で宮崎市へと電車移動する予定になっている。懸案だった「フェリーか隼人道路か」の件は、ホテルのフロントで問い合わせたところ、丁寧に返答してもらえた。それによると桜島フェリーは結構便数が多いようなので、フェリーで大隈半島に渡ることに決定。このホテルは、設備は平均以上に古色蒼然としているのだが、従業員はいい人である。

 それは良いとして、車をどこで借りようか、昨夜はホテルを決める前にそのことでもひとしきり迷っている。JRの駅レンタカーにするか、利用頻度の高いトヨタレンタカーにするか。雨もすっかり上がって快晴となった南国の空を見上げながら二つの店の間をうろうろした結果、無難にトヨタレンタを選ぶことにした。

 そういうわけで基本的には、大きな問題もなく車を借りることが出来た。ちょっとカルチャーショックを受けたのは、鹿児島弁の訛りのきつさである。比較的訛りの程度は緩いと思われるトヨタレンタのまだ若い受付嬢が、時々何を言っているのか分からなかったほどだ。何しろ「JALかANAのカードをお持ちですか?」という、どうと言うこともないセンテンスを思わず聞き返してしまったほどである。他愛もないことだが、郷里を遠く離れたところにやって来た実感が募る。

 まず目指すのは、JR伊集院駅前だ。鹿児島は海と山に挟まれたあまり広くもない平地に開けた街で、伊集院方向に向かうには市街地の隅にあるトンネルをくぐらなければならない。意外に交通量が多いのと、結構複雑な分岐を繰り返す形になっているのとで、快調に道が流れるようになるまでずいぶんやきもきした気がする。

 第一目的地である伊集院駅だが、ここには島津義弘の銅像がある。前回の開聞行き鹿児島旅行の時から気になってはいたのだけれど、今回ついに、数年越しの対面を果たすことになった。像は駅前のロータリーに建っていた。小さな駅舎に似て小さなロータリーなのだが、そのわりにはタクシーや一般車ひっくるめて駐停車中の車が多く、落ち着いて記念撮影をしようにも車を停めておく場所が無いのには参った。

 義弘との対面を果たしたその足で、駅から程近い城山公園こと一宇治城址に向かう。ここは戦国島津氏が一時期本拠地としていたことのある城で、顕著なトピックとしては、かのフランシスコ・ザビエルと島津氏十五代貴久がこの城で会見を行ったことがあげられる。現在では芝が植えられ一段高くなっているいくつかの広場と、それらの下方を縫うようにして伸びる通路によって構成される、平均的公園ではあまり見られないレイアウトが特徴的な公園となっているが、この地形は南九州の多くの城に共通して見られる構造をそのまま公園化したもので、今風の公園の中に戦国城郭の遺伝子が脈々と受け継がれている、と言うわけだ。

 20分ほどかけて一宇治城址を見学した後は、少し離れたところにある伊作城を目指す。別名を亀丸城。鹿児島県下では最大規模の山城であると共に、島津氏中興の祖である日新斎忠良、そして義久・義弘・歳久・家久の四兄弟の生誕地でもあるという、島津ファンには非常に重要な意味合いを持つ城だ。これが伊集院と同じ日置市内でも結構辺鄙なところにある。今日車を借りた理由のうちのかなりの部分は、この城を訪問することによって占められている。

 城山公園の駐車場で事前に調べた伊作城の位置をカーナビの目的地にセットし、いざルート案内開始。が、どうもナビの精度が良くなく、ディスプレイ上に自車の位置が正しく表示されない。カーナビ自体は同型車にあまねく搭載されている機種なのだろうから、ナビそれ自体の問題ではないのだろう。衛星の精度に問題があるのか?朝鮮半島情勢がきな臭いからその関係か?それとも本州に比べればいくらか赤道地方に近いところを走っているからその影響なのか?原因は良く分からないが、何となく先行きの不安を覚える。しかし幸いなことに、伊集院から伊作城のある吹上地区まではほぼ田舎の一本道で、よほどでない限り大きなミスコースはせずに済みそうだ。






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