南国の鄙

 大隈半島の、桜島と地続きになっている辺りは垂水市の市域にあたる。予想していた通り交通量も多くないのだが、偶然にもと言うのであろうか、目の前を行く車は福岡ナンバーのレンタカーである。どうやら目指す方向が同じなのか、常に私が進もうとする方へと走っていく。しかしその前車が、ふいに車を路肩に停めて動かなくなった。牛根と言うらしい集落で国道220号を外れ、主要地方道72号に入って少しした時のことだった。カーナビが推奨する距離優先のルートで志布志方面を目指すには、この道に沿って牛根峠を越えていくことになるのだが、これがいわゆる「険道」の範疇に片足を突っ込んだような道で、時折道幅が車一台分強程度しかなくなったりするし、ブラインドカーブが連続したりで、こういう道に慣れた人でなければ強い不安にさいなまれそうなコースである。レンタカーに乗っているぐらいだし、もしかするとこういう悪路に慣れていないライトなドライバーなのかも知れないと思いながら、酷道・険道マニアとしての自負を持つ私は、彼らの車をやり過ごしたが、しかしこういう峠道を独りで行くのは少なからず不安が付きまとうのも事実である。一応、ナビが示す先が志布志につながっているのが心の支えか。

 結構長い時間だったのかもしれないし、もしかするとごく短時間だったのかもしれないが、しばらく走って牛根峠を越えると、道は次第に良くなって行った。高規格農道のような、それなりに整備されていて信号も交通量も少ない、快適に流れる道が続く。少々単調な風景が続くのが難点だが、これなら志布志までは存外早くたどり着けるかもしれない。

 志布志市は、鹿児島県内ではもっとも東に位置する自治体である。志布志湾に面し、鉄道路線から見ると宮崎方面から伸びてくる日南線の終着駅となっている。牛根峠越え以来、ずっと変化の乏しい内陸部の道を走り続けてきたため、数十分を経て目的地志布志城址の近くで海に出会うと、非常に新鮮な気がした。

 目的地である志布志城跡は、志布志小学校背後の山林の中にある。志布志のメインストリートとなっているのではないかと思われる国道220号線の少し北だ。周辺はおそらく志布志市の中心市街に相当するであろう地区なのだろうが、市街地はさほどの規模でもなく、小学校方面に向かう道は狭く入り組んでいる。一応市制は敷くようになったものの、その実態は田舎町のままといったところか。そこまではある程度予想した。そして、田舎ゆえに車は駐車場所は適当な余地ないしは最悪路上でも問題ないだろうとたかを括っていたのだけれど、現地にたどり着いてみると、どうもその思惑は間違っていたような気配である。まず問題は、城跡周辺の道が「狭いながらも幹線道路」か「「対向車との離合が困難な幅員しかない生活道路」の二つに限定されてしまっていることだ。ちょっと見たところ路上駐車禁止区域にこそ指定されていなさそうなのだけれど、どちらに停めるにせよ、周辺の通行の妨げになったり、あるいは当て逃げの危険性が予想されたりと悩ましい。車の置き場所を探してひとしきり周辺をうろうろした挙句、近隣の史跡(天水氏庭園)のために確保されていると見えなくもない、微妙な雰囲気の空き地に車を停めさせてもらって城跡の探査を開始した。

 前述の通り、志布志城は鹿児島県内でも一荷を争う規模の山城ということなのだが、その高度は丘程度のものでしかなく、縄張りの傾向も典型的南九州のそれで、本州で見られるような山城とは著しく趣が違う。それにしても、しんどい上り下りがないのは楽なのだが、城域の大半が鬱蒼とした竹林や雑木林となっており、整備ももう一つ行き届いていないため、全体的な雰囲気が陰気なこと夥しい。昨日の雨で足元が緩く滑りやすいのも愉快ではない。志布志小学校の子供たちの嬌声がなければどんどん鬱に入って行きそうである。訪問した中では群馬県箕輪城以来と記憶している大規模な空堀など、光る遺構もあるにはあったが、一通り流したところで、飫肥城への移動を開始した。時計はすでに14時を回っている。

 飫肥城は宮崎県日南市にある。地図上では、山を隔てながら直線距離で20kmほど離れているようにも見えるが、二地点間は主要地方道3号日南志布志線によって結ばれており、移動に要する時間はさほど長くないようにも思えた。40分もあれば移動できるか。そう踏んで走り出したところ、実際に予想に近い時間で飫肥の町に到着できた。

 飫肥の町は宮崎県南有数の観光地として知られる。今風に整えられている中にも城下町の佇まいを残し、なかなかの人出で賑わっている。志布志からこっち、走ってきたところが常に山中か農村だったため、いかにも観光地然としたその街並みを見て「鄙にはまれな」という形容が連想された。

 飫肥城は、その観光城下町から少し山側に逸れた所にある。日本百名城の一つにリストアップおり、これまた綺麗に整備されている方だ。もっとも、遺構の保存状態が格別良いわけでもなければ、規模も取り立てて大きくはないので、城跡としてのインパクトは強くない。城下町とセットでいてこそ初めて百名城の一角に数えられる程度の城と言った印象は受けた。

 それにしてもここまで、食事もまともに取らず走り続けてきただけにいささか腹が減った。ちょうど駐車場近くに名物である飫肥天を商う店があり、興味を引かれたのだが、どうも想像しているのとは違っていそうな気がして敬遠。飫肥天自体は昨日ついに食べられなかったさつま揚げみたいなもののようだが、それをファストフード関係で供してくれればありがたかったのに、ちゃんとした定食の体で出されそうだったので、時間もあまりなくなっていることもあってパスしたが、後になってみればこの判断は誤りだったと言わざるを得ない。






火を吹く島 TOP 西へ東へ








100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!