月の名城

 臼杵から大分へと移動する。大分県は文化的・経済的に福岡県を向いているためか、ここから福岡方面への連絡はまずまず良好である。実際、佐伯‐延岡間の断絶がまるで嘘だったかのように、大分駅までの移動は順調だった。およそ1時間半の列車旅である。

 大分駅を出ると、まず目の前に大友宗麟の像が建っているのが目に入った。戦国大名としては決して凡庸な人物ではないものの、戦国大名の本分を忘れて(?)キリスト教に傾倒した挙句、島津氏にこっぴどく負けているために全国レベルでの人気は今一つという不遇の人物ではあるが、ここ大分市では紛れもない郷土の偉人として、銅像が建立されているのであろう。

 列車乗り継ぎのための1時間半の待ち時間の間に、ここ大分市では大分城=府内城に立ち寄ることになる。府内城は、永禄の頃まで大友氏が本拠地としていた城である。今となっては城跡は、駅からはやや距離のある、大分市役所だの大分県庁だのが集中している官庁街の一角に残っていた。それは良いのだけれど最大の問題は、堀と石垣と城壁に囲まれた大分城公園の敷地のかなりの部分が大分文化会館という近代建築に占められてしまっていて、歴史的建造物としての情緒にかける部分か。一応、お城写真としてはあまり現代的な構造物が写りこまないのが望ましいのだけれど、大分城はそのようにして写真を撮るのが難しいタイプの城だった。規模自体はそこそこ大きいし、水堀・石垣・城壁という三点セットが揃っていて、その点ではいかにも近代城郭らしく見えるだけに残念なところではある。

 府内城見学を終えた後、再び大分駅に戻り、今度は豊肥本線で豊後竹田の岡城を目指す。大分駅にはこの時期のこの時間帯にしては珍しく、多くの高校生が集まっており、彼らを相手に商売をしているらしい業者の姿が目立ったが、どうやら明日が国立大学の後期試験の日らしい。若人が大変な時期にのほほんと旅行をしている私は、贅沢なご身分である。まあ、今でこそ不良中年だが、私にも受験生だった時代はある。ほどほどにがんばれ、受験生諸君よ。

 そんなことを考えながら列車に乗り込んだのだけれど、制服姿の受験生らしき少年少女も、やはり大挙して同じ車両に乗り込んできた。どうも大分大学というのが豊肥線沿線にあるらしく、受験生らしき若者たちはその名も大分大学前駅で降りていった。若人たちが姿を消すと、途端に車内が空いてしまい、妙な寂寞感だけが残った。そして、そこで油断してしまったか、そもそも今朝起き出したのが早かったせいか、いつの間にやら再び眠りこけてしまった。次に気がついたときにはまさに目的地・豊後竹田駅に列車が止まろうかというタイミングで、危うく乗り過ごすところだった。

 この町にある岡城跡は、滝廉太郎の「荒城の月」を生んだとも言われている城跡である。もっとも、この曲のモデルになっているという城はわりと全国各地にあり、岡城こそが唯一絶対のルーツというわけではないのだけれど、そこを差っ引いても、ここの高石垣はかなり有名である。JRのフルムーンのポスターなんかにも使われたことがある。城は、地図上の直線距離では豊後竹田駅から少し距離があるかな程度に見えるところにあるのだが、実際歩いてみると結構高低差があって、最初のうちはどこか城下町の名残を残す田舎町を散策しながらリラックスムードで歩けたのだけれど、城が近づいてくる頃には大汗をかきながらの散策となっていた。

 いわゆる現存天守十二城や、復元とは言え天下にその名を轟かせたような城を別にして、城「跡」というものはそれほど観光地化が進んでいないものなのだけれど、岡城は少々勝手が違った。とにもかくにも登場口あたりまでたどり着いてみると、広い駐車場が確保されているのに加え、観光客にお土産を売り、食事を出すレストハウスまでもが存在している。平日夕方なので全く賑わっていないのだけれど、ここまで観光客を意識した城跡は久しく見てなかったような気がする。後日訪れることになった五稜郭跡、武田神社となっている躑躅ヶ崎館跡などは訪れる観光客も多く売店類が充実しているが、石垣しか残っていないような城跡というのはやはり、基本的にはひっそり閑としていることが多い。山城跡としては抜群に有名といって良い兵庫の竹田城や奈良の高取城でさえ、こんなことはなかった。

 不意を突かれたが、気を取り直して主郭部に通じる石段へと向かう。すると、岡城跡に登るには入場料が必要だということが分かった。これまた、城跡としてはかなりまれなことである。金300円也を支払うと、巻物を模したパンフレットをもらった。純粋な売り物ではないが、なかなか立派なつくりで、資料性も高い。城自体の値打ちと合わせれば、300円という価格も相応のものか。

 なかなか意外性のあるイベントが連続する岡城跡だが、石垣の上まで登ってみると、山城としては主郭部が想像以上に広いことが分かる。西の丸、本丸、三の丸だけでも十分広いが、少し離れた峰の上にも平らな曲輪跡が広がっている。城跡から見える九重連山の遠景も雄大だ。城自体はすぐに見終えるつもりでいたのだが、主だったところを回っただけでも小一時間はかかった。終わってみれば、もう少し時間をかけて見たい城だという感想を持ったが、夕暮れ時が近いし、戻りの列車の時間もある。今回は、ほどほどのところで引きかえすことにした。竹田での行動時間は2時間強を確保したのだが、駅から城までの距離が歩いて往復するには少々遠かったことが最大の誤算か。

 今宵の宿は大分市内に求める。豊肥本線を大分へ向かいながら、今度は沿線の風景にも注意を払う。明日最初の目的地となる鶴賀城は、帰りの道中にある竹中駅から向かうことになるが、それにしても少々交通の便が悪そうだという事前情報をつかんでいた。出来れば今日のうちに雰囲気はつかんでおきたい。しかし残念ながら、竹中駅を通過する頃には日も暮れて、窓の外はすでに暗くなっていた。

 大分市は思っていたよりも都会である。ちょっとした繁華街にはサウナもあったようだが、明日はまた車の運転をする予定がある。とりあえず、日中府内城を見た帰りに見つけた、アーケード街の吉野家で牛丼をかっ込んだ。久しぶりにまともな食事をとった気がする。客観的には、吉牛では旅先での食事とするには侘しい気もするが、貧乏旅ではこれが定例になっているので、一面で安心できるのも事実である。

 腹も膨れて一心地着いたので、ホテルを探した。今回の旅は、旅程が長いこともあって出費がかさむ。贅沢をしたくなるところではあるが、安そうな宿を探し求め、結局駅前にあったビジネスホテルさとうに泊ることになった。本当に駅前のホテルである。鹿児島中央駅前のすずや以上に「駅前」のホテルで、ここを形容するにはまず「交通至便」の四文字が脳裏に浮かぶ。泊ってみると、鍵の管理等、一種独特のシステムが印象に残るホテルではあったが、格安であるにもかかわらず部屋は小奇麗で、ちょっとしたおつまみが用意されているのを見ては、この宿の従業員のホテルマンシップに感じ入った。






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