敗北再び

 三日目。山陰側と比べて乗り継ぎ事情が劇的に良くなる山陽本線伝いに、広島から京都へと移動する中で適当に立ち寄り先を見つければ良いと言う気安さもあって、1日目2日目のような分刻みのスケジュールを組む必要がなく、ギリギリまで予定の決まっていなかった日ではあるが、出発を間近に控え、岡山県や兵庫県内の有力国人級の城を軸に立ち寄り先を検討している中で、陶晴賢の居城と言うのが山口県周南市にあると言う情報を掴んだ。その名も若山城と言う。

 広島から山口県内に進入し、再び京都へ折り返すと言うのは、一日で移動可能な範囲の限界がそろそろ見えてこようかと言うほどの距離ではあるが、山口県内の城が手薄だと言うこと、陶晴賢の居城というネームバリューが魅力的なこともあり、若山城攻めを決定した。朝一番に広島駅を出る下関行きに乗り、城を2時間ほどで落としてから京都へ行こうとすると、京都着は19時前後になる。若山城以外に立ち寄ることは難しいが、これで行こう。

 そんなことを考えて、西を目指す車中、道中の大竹駅の近隣名所案内に亀居城というのが挙げられているのを見つけ、念のためにスマホから調べてみると、関ヶ原戦役後に広島に封じられた福島正則が、周防長門の二カ国に減封された毛利氏を警戒して築いた支城とのことで、現地にはそこそこの規模の石垣があるという。意外に粒が大きそうなのに注目し、帰りがけにこちらも攻略していくことに。山口と岡山の二股は行動可能時間的に厳しいだろうが、山口・広島で二城を攻めるだけなら、京都への着が遅くなるだけである。許容は可能だ。

 実質的な直通電車であったことに助けられ、2時間半弱でたどり着くことが出来た福川の駅。小さな無人駅だが、駅舎を出るとなぜかタクシーだけは台数が停まっていた。ここのところ、欲しいところでタクシーに出会えなかったのに、これから目指す若山城は、この福川駅からさほど距離があるわけでもなく、タクシーに頼るほどの事はない。屯しているタクシードライバーたちはちょっと柄が悪そうだったので、あまり近づきたくはなかったのだが、付近の地図はその柄の悪いドライバーたちが屯している向こうにあったので、少々身構えながら道順を確認する。

 訪問前から、気になることはあった。ネットでお城系のサイトを調べ、若山城の所在地の事前調べをしたのはいつもどおりの手順である。そして、旅のお供に持ち歩いているマックスマップルの福川駅周辺には、やはり若山城の位置が記されている。極端にマイナーな城以外は、意外とその位置情報を載せていることも珍しくない地図だが、どうもネットとマップルの双方が示す城の位置が違う。いずれも里山なのだろうが、尾根続きにすらなっていなさそうな別の山を、それぞれ若山城だと主張している。

 ここで、先入観があった。「天下の昭文社が出しているマップルの情報の方が正しかろう」と。結論から言えば、マップルの方が間違いであった。しかし、事前の予習でマップルの示す城の位置を頭の中に叩き込んでしまっていたため、結果として歩いても歩いても若山城にたどり着くことは出来なかった。駅前の古ぼけた看板は、正しく城の位置を示していたというのに、である。

 結局、あちらの道やこちらの道を試しながら、まるで見当違いの山に取り付く登山道を探し続けて2時間近く。どうも具合が悪いと判断し、若山城の攻略は次回に預けて撤退することになった。事態を正しく把握したのは、再び福川駅に戻ったタイミングのことであった。

 若山城の敗戦があったため、何とか攻略を果たしたいとの思いでたどり着いた亀居城。最寄り駅である大竹駅は、そのまま所在自治体の名を冠しており、大竹市は山口県と境を接する広島県西端の街である。もっとも、非常になじみ薄いエリアであるため、今回この駅に降り立つまで、広島に大竹市という名の市が存在することを知らなかった。体感的には、「安芸の宮島のちょっと向こう」といったような場所だ。

 亀居城も、マップルに表記のある城だ。現場でネット検索をしてみても、双方が同じ場所を示している。これまでの経験から言っても、さすがに地図の誤植というのはそうそうあるものではない。ただ、城跡は公園になっているようだが、そのわりには駅周辺で見られる地図にその所在が謳われているのを見つけることは出来なかった。

 ほとんど一本道に近い経路を行くこと30分ほどで、亀居城跡へ到着。小高い丘の上にある公園には、確かに石垣が存在していた。もっとも、現地の状況から鑑みるに、史跡公園として整備されたとは言いがたい雰囲気である。縄張りについては言及があるが、城の歴史に関する説明が乏しい。また、虎の子の石垣も、昔からそのまま残っている物にしては綺麗過ぎる。むしろ、本丸周辺を中心に、かなりの部分が現代の土木業者によって積み直されているような印象すら受ける。どちらかと言うと、下の曲輪へと降りていく未整備園路のような状態の通路脇に多くの石がごろごろと転がっている状況のほうが、いかにも城跡らしい。

 若干期待はずれの感は否めないが、現地調達のようにして見つけ出した城となればこんな物であろう。一通り公園内を歩き回った後で、駅へと引き返した。






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