京都時代祭り

 最終日の最後に控えていたのが、この旅のメインと言って過言ではない時代祭だ。祇園祭・葵祭と並んで京都の三大祭の一つに数えられている。他二つがそうであるように、時代装束の人の行列が街中を練り歩くものなので、そのコース上のどこかにいれば良いわけだが、最も早く行列に遭遇できるポイントとなる京都御所の南へ。地下鉄の駅で言えば、烏丸線の丸太町駅地上部付近を目指す。

 前述の通り、時代祭は京都の三大祭の一つとされているが、その歴史は他の二つに比べて圧倒的に新しく、始まりは明治時代のことである。同時期に創祀された平安神宮の祭礼と言う位置付けで、開催日である10月22日は平安遷都の日だ。目玉となるのが1200年に及ぶ京都の故事にちなむ時代行列で、明治維新、江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦と遡っていく。途中途中で、それまでの複数の時代区分を概括するように、婦人列が通り過ぎていく。

 12時30分を目前に御所の南・丸太町通に到着したが、平日と言うこともあってか、以前に経験した葵祭や、毎年のように出かけている祇園祭ほどの人ごみに飲まれることはなかった。ただし、私が陣取ったのは通りの北側、本当に御所を背にする側の歩道であったが、実は祭りの開催中とは言っても、この通りを全面通行止めにすることは行われず、バスによる片側通行は行われており、行列が通るのはその反対側車線であったため、行列そのものとの距離が若干あるのと、時折バスの通行により視界を遮られるのと、条件の悪い場所ではあったようだ。

 行列は、まず時代装束に身を包んだ京都のお偉いさんの一団から始まり、次いで本当の維新の志士たちをイメージした行列が続く。坂本龍馬とか、西郷隆盛とか、その辺りである。ただ、その時代性ゆえか、衣装は質朴だし徒歩だし、美々しさはない。次いで江戸時代。この行列は江戸の将軍家からの使者の行列を再現しているようだ。ここからようやく、時代絵巻調の行列になってくるが、見たところビッグネームといえるほどの名は見当たらない。また、江戸時代と言ってもかなり長いのだが、いつ頃の行列を再現した物なのかはよく分からない。それに続くのが江戸時代婦人列だが、辛うじて和宮が分かる。ただ、和宮と言えば、江戸時代は江戸時代でも幕末ということにはなるが。

 次にやってくるのが、安土桃山時代を担当する、豊公参朝列だ。豊臣家の参内を再現した物で、公家と武家を折衷したような編成の行列なのは、武士でありながら関白となった豊臣秀吉をよく象徴している。

 一番とっつきやすいのが、それに続く織田公上洛列だろう。その名の通り信長の上洛を再現した物で、織田信長をはじめとする武者行列である。秀吉本人は羽柴秀吉としてこの列に参加しているし、有名どころの武将(と言ってもそこはやはり織田の重臣格だが)が続く。

 信長の上洛に続いてやってくるのが、最後には信長に追われることになった足利将軍以下が列を作る室町幕府執政列だが、これも歴史上の有名人が参加する行列ではない、列を作っているのは、特に誰とは特定されていない足利将軍や、室町幕府の要職を務めた有力大名の氏族たちで、特に個人名が出てこないので、今一つ思い入れを投影しにくい。

 さて、この時代行列、京都の目抜き通りを通行止めにしていた祇園祭の山鉾巡行などと違い、主要箇所以外平常どおりの交通の流れを確保した状態の京都市街を流していく。従って、信号待ちで行列が止まったりするのだが、もう一つ華やかさのない室町幕府執政列の時に長い停滞が発生した。見ていてもう少し面白味のあるところで止まったのならいざ知らず、この隊列は変化がないので面白くない。待ち時間が辛い。

 漸う動き出してからやってきたのが室町洛中風俗列。その名の通り、室町時代の京都で流行した風流踊りを再現した行列とのことだ。過ぎ去った時代の風俗を再現した行列として、これはこれで面白いはずの物だったのだが、どうも室町幕府で停滞したリズムが尾を引きずり、もう一つ興が乗らない。

 次いで、建武新政期の楠公上洛列がやってきて、それに続き中世婦人列が歩いてくる。楠正成とその一党が行進するというのが、何とはなしに京都らしく思える。中世婦人列は、淀君、藤原為家の室、静御前、大原女、桂女と続く。日本史における中世の終わりは室町幕府の滅亡とされるのが一般的なので、厳密には淀君を中世の女性とは言いにくい物があるし、増して静御前との間には四百年の時間的隔たりがある。この一団のザックリ一まとめ感が夥しい。藤原為家の室って誰だっけ?大原女、桂女が特定地域や職業の人だったりするのも統一感に乏しい。カオスな一団の登場に頬も緩む。

 楠正成の前となれば、当然鎌倉時代となるのだが、政治の舞台が他所に移った、京都的には忌むべき時代(?)であるためか、この時代を担っているのは城南流鏑馬列という地味な一団である。

 ここまでで、予想外の長時間を要している。ずっと日なたに立ち尽くしているのが、思ったより疲れる。行列もそろそろ終わりが見えてきたし、一気に決着を付けたい気分になってきた。そこで、これまでずっと我慢してきた行列遡行を決行した。静々と歩いてくる行列の後尾に向かって歩けば、速やかに後続集団を観覧できるという理屈だ。

 藤原公卿参朝列は、まさに平安王朝華やかなりし日々の行列なのだが、あまり興味がない時代の行列であるため、横目にやり過ごした。続く平安時代婦人列は、巴御前や常盤御前、紫式部に清少納言、紀貫之の女、小野小町らが参加しており、有名人が多く、女性なだけに衣装もきらびやかで華がある。常盤御前に子供がくっついてきている辺りが芸コマだ。それにしても、巴御前が平安で、静御前が中世とはどういう了見なのだろうか。まあ、史学上の区分から言えば、そもそも平安時代も中世となるのだが。

 時代行列のトリを飾るのが、延暦武官行進列、文官参朝列である。平安時代でも坂上田村麻呂の時代で、武者たちの武装がもはや古代を思わせるそれに近づいているのが興味深い。それに比べると、文官の装束の変化というのはさほど目に付かない。「ああ、和服だな」と見えてしまう程度のものだ。

 本来なら、この後に続く一団・神饌供社列が、神事としての時代祭の核心となる部分なのだが、ここまで予想外に長かった行列の見物に疲れてしまった。見るともなしに最後尾の集団を眺めた後、同じように帰り支度を考え始めた見物客の奔流に飲み込まれないうちに駅へと引き上げた。

 これでとにかく三大祭は制覇したが、とにかくエネルギッシュな祇園祭、神事としての体裁を良く整えている葵祭に比べると、時代祭は商業祭りが風格を増した物、というように見えなくもなかった。参加してみて一番面白かったのは、やはり祇園祭のように思う。再度の時代祭観覧があるかどうかは何とも言えないが、来年もまた祇園祭に来よう、また大文字も見られたら良いなと思った。






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