木曽を抜け安曇野を抜け

 名古屋駅発6:18の中央線中津川行き列車に乗る。春に新府へ行った時に乗ったのと同じ列車だ。前回と違うのは、乗車駅が鶴舞駅ではなく始発駅にあたる名古屋駅と言う点だけだ。今回は泊を伴う旅で、電車に乗り込んだ後丸一日以上に渡って自転車を駅駐輪場に停めておくことになるため、名古屋駅をスタート地点に選んだ。名古屋市内の中央線駅、名古屋駅、金山駅、鶴舞駅、千種駅あたりの中で、まともな駐輪場を備えた駅は名古屋駅と金山駅の二つしかない。千種駅と鶴舞駅の駐輪スペース利用は事実上の路上放置を意味する。さほど高価な自転車ではないが、やはり盗難にあったりするのは面白くない。また、金山駅の駐輪場は有料となっている。というわけで、まがりなりにも無料駐輪場が存在する名古屋駅に白羽の矢が立ったわけだ。この駐輪場は夜間は閉鎖される。駅には少し早く着いたため、駐輪場入口の前で午前6時の開場を待った。パン屋の仕込を目の当たりにした高山行きの時に比べればいくらかは常識的な時間であるが、持病の養生のためには睡眠不足が良くないといっていたかかりつけ医の言葉が気にかかる。ともあれ、間もなく警備員風のおっさんがやって来て、金網で出来た駐輪場のドアを開けていった。中村警察署が近いからそこの署員なのか、それともJRの職員か。一昔前に警官の制服が民間警備員風に変わってからは本当に区別がつきにくくなった。

 中津川駅に着き、松本行き7:37の普通列車に乗り込むところも新府行きと同じ。列車内にアルピニスト風の乗客が目立ち、木曽谷筋の学校に在籍する中学生だか高校生の通学風景が目に付くのも同じ。前回と違うのは、塩尻で降りずに終着駅の松本まで乗り詰めになる所だけだ。

 松本駅は、長野県下最大都市の玄関口にしてはえらく古びたつくりの駅だった。電車がホームに入ってくるたび構内に流れる「ま〜つもと〜、ま〜つもと〜」というアナウンスも昭和の時代を想起させる。ここでは10:41発篠ノ井線長野行き乗り継ぎのために30分弱の待ち時間が発生する。名古屋に比べれば蒸すような暑さがないため、ホームのベンチに座って待つのもさほど苦にはならない。いつしか心に忍び込んだメーテルの幻影が、本当か嘘かはよくわからないが、要領よく松本の人情風土について語りだした。
「ここは松本。色々あって県庁所在地になれなかった長野県内最大の都市。この街の人々は、今も長野市に県庁所在地の座を奪われたことを恨みに思っているの。」

 そして聞こえるあのメロディ。
汽車は闇を抜けて光の海へ 盆地が広がる無限の長野さ
夢の掛け橋渡って行こう
人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの
希望の城に巡り会うまで歩き続けるだろう
君もいつかはきっと出会うさ青い小鳥に
 篠ノ井線に乗り込む。外気はじめじめした感じではなかったが、そこはそれ夏場である。やはり大気中には微細な水の幕が立ち込めてしまっているらしく、車窓から安曇野越しのわりと近くに見えるはずの屏風のような北アルプスすらほとんど見えない。ボックスシートに同席することになった鉄道マニア風の中年男と老婦人の二人連れも、そのことを残念がっていた。しかしこの二人、車窓風景についてのべつまくなしに勝手放題な批評を言い募り、別に意識して聞こうとしているわけでもないのにその一部始終が耳に入ってきてしまう。特に線路沿いの開発が進んでいるのが気に入らなかったらしく、沿線に建ち並ぶ一般の民家にまで毒づくのは辟易した。別にあの家の主たちに行きずりの旅行者に批評されるいわれはあるまい。

 そんな二人連れの片割れ、鉄道マニアの方はしきりにこの路線に関するうんちくを語っている。彼が言うにはこの沿線、姨捨駅周辺から見える風景は「日本三大車窓」(尻切れトンボ的印象の残る語感だがおそらくきれいにまとめられなかったのだと思われる)なのだそうだ。さらにスイッチバック走法が三回だか連続するのもここ姨捨駅の特色らしく、実際に電車が姨捨駅につくと二人そろって姿を消してしまった。この駅では後から来る快速列車の待ち合わせのため、数分間の停車時間が発生するようだ。望まざる同行者がいなくなってこちらとしてもせいせいした部分があったのだが、確かに姨捨駅からの展望は良かった。まあ、日本で三本の指に入るほどの美観かと言えば異論もあるだろう。ちなみにこの姨捨駅、現地に着くまでは気付かなかったのだけれど、どうやら姥捨て山伝説の残る土地らしい。嫁にそそのかされた息子が姑である自分の母親を山に捨ててこようとするのだが、山に出る月の美しさに心洗われ、「姥捨て」を思い止まるという筋の話だ。土地の殿様の政策で、役立たずと見なされた老人を山に捨てなければならなくなるというパターンの話もある。この場合には、老人の「年の功」が殿様を唸らせ、結局姥捨て令は廃止されるというオチがつく。ここ姨捨の地の伝説はどうやら前者のようだ。

 姨捨駅に電車が止まっていた時間は、せいぜい10分ほどだっただろうか。ホームに存在する伝説を解説した看板を読んだり、眼下に広がる千曲の街並を眺めたりしているうちに電車は動き出した。しかし、あろうことか今まで走り過ぎてきたのとは反対方向、すなわち松本方向に向かって!一瞬「何が起こったのか?」とドキリとしたが、すぐに最前の鉄道マニアの言葉が思い出された。どうやらスイッチバックはすでに始まっているらしい。スイッチバックとはつまり、鉄道車両がまっすぐ移動できないほどの急斜面に突き当たった時、進行方向を前後に切り替えながらジグザグの軌道上を上り下りしていく走法のことだ。その程度の知識は事前に持っていたのだけれど、姨捨駅がすでにスイッチバックの終端部に位置しているとは思っても見なかった。「姨捨駅近くでスイッチバックが行われる」という話を聞いていなかったらさぞかし肝を冷やしたことだろうが、今となっては旅につき物のワクドキハプニングを逸したようでもあり、あの時の鉄道マニアの不用意な一言が恨めしくあったりもする。






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