北陸路を行く

 黒姫から先はひたすら今日の宿泊地となる金沢を目指す。長野から新潟に回り、富山を突き抜けて金沢入りするため、ここからタイムロスもなく移動できたとしても、金沢に到着するのは19時を回る頃のことになる。再び、以前と同じ経路を列車に揺られていく。途中立ち寄ってみたかったのが高田城なのだが、ここに立ち寄る時間的余裕はない。前回は上越市春日山の駅で降りて春日山城に向ったところを、今回はまっすぐ直江津へ。朝に名古屋を出て鈍行で長野新潟と周り、夜に金沢に着こうとすると、立ち寄り先はどうしても一箇所が限度となる。

 信越線は直江津どまりなので、ここからは北陸本線の下りで移動。2年前の旅行では、富山県は魚津駅で発生した落雷事故のために思いがけない足止めを食らった魔の区間である。ちょうど逢う魔が時と呼ぶに相応しい夕暮れ時の出来事で、車窓から見える日本海は驟雨にけぶっていた記憶がある。今回も、夕立の心配をするほどではなさそうだが天気はあまり良くない。ちょっといやな想像が脳裏をよぎる。ともあれ、ここから先の区間は進行方向向って右の座席に座った方が、海を眺めながら進めて楽しい。反対側の左手に座った日には、窓から見えるのは山の斜面ばかりである。新潟・富山県境付近は、親不知子不知に代表されるような一昔前なら人や物の流れも滞りがちな狭路しかなかったような地域なのだ。実際のところ親不知子不知真っ只中の区間では、列車はトンネルの中を進むのだけれど、右手は海原・左手は山肌と言う両極端な車窓風景は、そういった事情による。ちなみに親不知子不知の情景を歌った同名の合唱曲が存在し、中学時代の合唱コンクールで歌う機会があったのだが、私はその時運悪く指揮者の任を押し付けられてしまった。歌の内容とあいまって悪夢のような記憶である。…などと雑念にとらわれていたのがまずかったのか、進行方向を間違えると言う致命的なミスを犯したため、日本海側の座席を取り損ねてしまった。このあたりの北陸線、マイナーそうな雰囲気に反して乗客が多い。

 直江津から金沢までは2時間強の道のりである。途中は基本的に複線区間なので、列車待ち合わせのための駅停車と言うのはそれほど多くないのだが、十も二十もある途中駅のことごとくに停車していく鈍行では、やはり軽快に走り抜けて…とは行かない。景色の面白くない山側座席を選んでしまったこともあり、まぶたは次第に重くなる。ふと気がつけば列車はすでに滑川近くを走っていた。時間が早く過ぎて都合が良かったのかもしれない。それにしても腹が減ったような気がする。

 空腹感にさいなまれながら、なお一時間以上の道のりを経て夕刻の金沢駅に到着。今日の夕飯は、石川県が生んだソウルフードチャンピオンカレーを食したい。しかも工大前店の、Lカツカレーを食べたい。マニアはやっぱりこれである。残念ながら名物タイムサービスが行われている時間ではないような気がするのだが、750円を払ってボリュームもそこそこのチープなカツカレーを食べよう。そう考えて野々市工大方位面行きのバスを探してバス乗り場へ。何年か来ないうちに金沢駅の東口は様変わりし、バス乗り場も以前より煩雑で分かりにくくなってしまったような気がする。迷い迷い、有松・横川・野々市方面行きバスを探すも、土曜の夜ともなると本数がほとんどなくなってしまっている。これでは工大生は不便な思いを強いられないだろうか。

 とにかく移動の足がなくなってしまったとなると、今日のところはチャンカレをあきらめねばなるまい。宿とチャンカレに代わる夕飯を求め、金沢の盛り場・片町へと移動。本来ならば、金沢の定宿と化した感のあるサウナオーロラを今夜の宿とするところだが、明日は車での移動となる。電車と違って体調を整えておかなければならないため、この時は安いが一応ホテルの体を取っている宿をとることにしていた。調べてみると、ホテルエコノ金沢片町というビジネスホテルが片町近辺では最も安い宿になりそうだ。盛り場の裏手、一応は長町武家屋敷の近くである。そう言えばこんなところにホテルもあったなと思い出したが、まさかここに泊まる日が来る事になろうなどとは、金沢時代に考えた事もなかった。金沢では駅周辺にもホテルは多いが、どこも高いのでパス。食事は、これは前回と同じく片町の王将で済ませることにした。この安っぽさが18きっぷ旅の醍醐味である。

 明日は、8時頃に金沢駅前のレンタカー屋に出向くため、それなりに早出をする必要がある。夜は早めに休むことにした。






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