能登の祭と大秘境

 期待していたのとは少し雰囲気が違うが、千枚田の感動を胸に輪島の市街地側へ移動。次に立ち寄るのはキリコ会館だ。キリコとは中〜奥能登地方の祭りに見られる山車の一種で、漢字で「切子」と書く。御神灯でもあるので、暗闇ではもちろん光る。街明かりの少ない能登の夜にほの赤く輝くそのさまは、なかなかに幻想的だ。実際の祭りは見たことがないのだけれど。言ってしまえばこれに関する博物館が輪島市内に存在しなければならない理由はないのだけれど、長らく過疎傾向が続き、強力な産業も育たない能登地方が生き残るために観光資源として有効利用されているわけだ。

 キリコ会館は、能登の各地で使われるキリコが一堂に会する博物館で、輪島の市中にある。博物館といっても決して堅苦しいものではなく一歩中に入るや祭囃子が聞こえてきて、祭り好きなら結構好きになれると思われる。照明を落とした館内には、見上げるような大きなものから、人の背丈とさほど変わらない小さなものまで、数多くのキリコが展示され、ほの赤い光を放っている。難しいことは何もない、単純に夜祭のムーディーな空気を堪能すれば良いのだ。ただし、展示内容と入場料がつりあうかどうかは評価が分かれるかも知れぬ。入場料は割合高めに設定されている感があるのだが、私は好きである。

 なお 同じ建物の中でアエノコト(アイノコト・田の神)やモッソウなど、卑俗な言い方だが能登の珍妙な民俗に関する展示もしており、こちらも私の心の琴線に触れるものがあった。「アエノコト」とは、豊穣神と言うか田の神を我が家に迎え入れ、まるで神様が饗応の席にやって来た体にしてご馳走を振舞う風習である。古くは能登地方の各家庭で行われていたものだが、現在は重要無形文化財として保護しなければならない消滅寸前の民俗となっている。「モッソウ」は山盛りご飯を食べる習わしだ。私などはイカの塩辛がおかずならば一度参加してみたいような気もするのだが、茶碗に盛られたご飯の量は半端ではない。見たところ三合分ほどの米を半ば強引に盛り固めて茶碗いっぱいに盛っているように見える。いずれも久しぶりに思い出した名前だったが、にわかに興味を引かれ始めたので金沢に戻るや能登の民俗に関する本を探したりもしたのだが、残念ながら金沢には名古屋ほどの大型書店がないため能登民俗誌本は結局入手できなかった。

 30分ほどでキリコ会館をあとにし、今度は輪島市中心部の反対側へと抜ける。市街の西側には海に面した切り立った断崖が続いており、対向車とストレスなくすれ違えるような大きな道は通っていない。途中、「対向車などあるまい」と安心しきってかなりのスピードを出してきた地元の車と思しきランクルと正面衝突しそうになったが、辛くもブレーキングが間に合い、九死に一生を得た。僻地のドライバーは押しなべて運転技術は高いのだけれど、こういう悪い意味での慣れがあるから付き合い方が難しい。こんな調子で文字通り辺境の道なのだが、この断崖路の行き着く先に次なる目的地、間垣の里・上大沢地区がある。

 間垣は日本海からの海風を和らげるために家屋の周りに張り巡らされたニガタケの防風柵で、主に能登半島の海岸沿い集落に見られる。とは言え建築技術が進歩し、自然環境の厳しい僻地に居住する人も減ってしまった現在ではごくごく限られた地域にのみ見られるものになっている。輪島の外れにある上大沢の集落は、その「ごく限られた地域」にあたる。隣接地域は輪島や門前の市街地であるが、そのどちらからも相当の距離離れており、特に輪島側からアクセスしようとすると海岸沿いの断崖に作られた道を小一時間も走り続けてようやくたどり着ける大秘境の趣である。道中にはダルマ瀬、大尖岩・小尖岩、ゾウゾウ鼻など、独特の名前をつけられた奇岩が連続する。ちなみに今回のルートからは外れたが、珠洲市にはゴジラ岩なんていう名前そのままゴジラの形をした岩があり、名前と形の奇抜さでは群を抜いている感がある。波の険しい能登半島の外海側にはこうした風景が連続し、観光名所となっていることも多いが、輪島のこのエリアは通りかかる車も少なく、訪れる人もごくわずからしい。







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