クマー!!

 渋めの観光地が多い片田舎と言うイメージの能登だが、実を言うと中には「なぜこんなものが」と言うような突飛なスポットもある。例えばUFOの街を売り物にしている羽咋市には、宇宙開発をテーマにした博物館・コスモアイル羽咋があるし、能登半島に存在する意義が分からない「世界一長いベンチ」なんてのもある。門前を発って次に目指すのはそうした突飛スポットの中でも傑出したものの一つだ。何しろモーゼの墓である。

 モーゼは紀元前十世紀代のイスラエルに存在した預言者で、「出エジプト記」のエピソードで知られる。イスラエル人を引き連れて数々の苦難の道のりを行った人だが、一般には120歳の生涯を終えた彼の墓は存在しないか発見されていないとされる。それが能登半島にあったとなれば、これは歴史的にも世界的にも大事件なのだが、実際のところ大した騒ぎになっていない現状をかんがみれば、モーゼの墓の伝承は推して知るべしだ。日本には、青森にもキリストの墓と言われるものが伝わっていて、これまた世の知識人は歯牙にもかけていないが、モーゼの墓もキリストの墓も、実は同じ文書によって裏打ちされた伝承であって、その文書の信憑性が著しく低いためにかかる現状を招いているのだ。その曰くつきの史書の名は「竹内文書」。普通、偽書とされる。

 しかし、だからと言ってモーゼの墓に存在価値がないかといえば、もちろんそんなことはない。世の中は、ウソとホントの絶妙なバランスから成り立っている。そういう眉唾物の「史跡」を巡る遊び心があっても良いではないか。そういうわけで次はモーゼの墓を目指すことにした。聞けば、墓の近辺はモーゼパークと言う公園になっているのだと言う。ついでに、墓のほど近くにある古城址・末森城址にも寄って行く事に。いや、むしろ末森がメインか。

 そういうわけで門前から走り出した後は、能登半島の西岸を走る国道249号線に沿って、末森城とモーゼの墓のある宝達志水町を目指す。道案内が必要なほど複雑な道筋でもないが、一応ナビにルート検索をさせたところ、やっぱり249を走り、途中から能登有料に乗り、さらに国道159号を行くコースを推奨してきた。到着予想時間から逆算される所要時間は2時間以上と出たが、おそらくそれほどの時間はかからない。能登半島の道は、街乗りとは違って信号交差点がほとんどなく、車が少なく、しかも山道ではないので、とにかく快調に進む。案の定、実際に走り出してみると1時間半で159号線沿いにある末森城址に到着。予想以上に速やかな移動である。

 しかし、うまい話ばかりであるはずはないのが世の中の常。ここ末森城で、私は思いもよらない不運に見舞われることになった。なんと3ヶ月前の6月4日に末森城址にクマが出現、危険だと言う事で現在城跡へは立ち入り禁止になっていると言うのだ。これまでクマ出没注意の山城跡というのは何箇所かあったが、立ち入り禁止措置が取られているパターンには始めて遭遇した。改めて考えるに、野生のクマの出没事例と言うのは、確かに悲劇的な事故につながる可能性のあるものであり、そういう措置をとらざるを得ないものなのかもしれない。残念だが、末森城攻めはあきらめる事にした。おそらく末森城は、ワンシーズンに渡って閉鎖されるだろう。

 そういう経緯もあって俄然注目度のアップしたのがモーゼの墓参りだったのだけれど、これも満足な結果を得られなかった。版の古いマックスマップルでは、宝達山の山頂近くの主要地方道75号沿いにモーゼパークがあるかのような書き方をしているが、これが典型的な「険道」で途中から先は車で入れなくなってしまった。何とか迂回路を探そうとしたものの、どんどん訳の分からないところに迷い込んでしまった。まるでアリ地獄だ。その秘境ぶりがモーゼっぽいと言えば言えなくもないが、私の中の何かが「こんなところにモーゼはいないと思うぜ」と大変なことを言ってしまったのでこちらも撤退。アムンゼンとスコットの例もある。引き返すのも勇気だ。モーゼはこの地で583歳まで生きたそうだが、かくてモーゼの墓参りはご破算となった。

 宝達志水町での観光が、残念な形ではあるが終了したとなると、それはとりもなおさず能登観光の終結をも意味する。後は、今日最後の目的地となる白山麓の山城・鳥越城址に向うだけだ。






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