一期一会

 展望は無きに等しいので、開聞岳山頂の風景は思いの外荒涼として見える。

 考えてみれば、今度の旅はまさにロードムービーを地で行くようなものだった。山頂に腰掛け、そんなことを思う。そのロードムービーは今、こうしてクライマックスの開聞登頂を果たしたことで終盤に差し掛かろうとしていた。

 それにしても動くのをやめてしまうと寒くて仕方がない。本土最南部とは言え真冬の標高1000mとはかくも寒いものなのだ。数日前に日本各地を襲った大雪の残滓がここ開聞山頂にも見られた。こう寒くては思索にも障る。山頂付近で20分あまりを過ごした後、2合目登山口からおよそ1時間半をかけて登った山を、ほぼ同じだけの時間かけて下る。大体において山登りと言うのは、登りよりも下りのほうこそ骨が折れる。私の場合、登りならばモデルタイムの半分〜3分の1強の時間で行けてしまう事が多いが、下りに関しては平均レベルの所要時間で進まざるを得ない。

 開聞の町中に立ち返ったのが11時頃のこと。問題はここから先である。開聞駅から指宿方面に向かう列車は数時間に1本しかない。11時前後の時間はちょうど列車運行の端境期にあたり、鉄道ばかりをあてにしていた場合には午後一番までは身動き一つ取れなくなる。実は現地開聞町を訪ねるまではここが最大の悩みの種であった。鉄道が駄目ならあとはバスかタクシーかと言ったところなのだが、あらゆる手を尽くしても付近を走る路線バスの情報が全くつかめない。昨今は一見するとネット万能の世の中のようだがまだネットだけでは掴みきれない情報は沢山あるのだ。そういう経緯があったから、今朝開聞駅に降り立った時に最初にしたのがバス停探しだった。ここでバス停が見つからなかったら、大枚はたいてタクシーを使い指宿駅(あるいは山川駅)まで移動する覚悟でいたのだけれど、幸い近隣を走るバス路線(鹿児島交通バス)が存在しているらしいことまで確認した上で開聞登山に挑んでいたのだった。

 どうやら開聞町周辺の公共交通機関は、JR指宿枕崎線と鹿児島交通バスが相補することで成り立っているらしい。バスの運行時刻表を見ると、鉄道運行の間隙を縫うようにしてダイアグラムが設定されている。こうすることにより、1時間に1本程度の割合で町外への脚が確保される形になっているようだ。開聞岳登山口付近には開聞駅前と開聞口の二つのバス停があったが、とりあえずは開聞口の方で待つことにした。バス停があるのは国道226号線の途上で、たまたま近くに226号のキロポストがあったため、これを撮影したりしながら時間を潰す。それにしても人通りが無く、車通りも極端に少ない。こんなところでやたらに写真を写していたからなのか、それとも他所者は一目で分かるのか、近所の子供が妙に他人行儀(もちろんお互いに知己という訳ではないけれど)で「こんにちは」と挨拶をしてきた。これが開聞町の初等教育の賜物か、あるいは彼の家庭の躾の賜物なのかは定かではないが、いずれにせよ開聞の子は良い子である。前日には県北で都会のチンピラ高校生にも劣る猿並みの高校生を目の当たりにして呆れていたのだけれど、開聞の子の活躍によって薩摩隼人の面目は保たれることになった。

 しばらく待っていると「なのはな館」行きと標示されたバスが近づいてきた。指宿駅行きではなさそうなのでとりあえずスルーしたが(ちなみに後で知ったところによると「なのはな館」行きは指宿駅や開聞岳遠望のベストスポット・長崎鼻を経由する路線のようだ)、ここで一抹の不安がよぎる。田舎のバスはバス停で突っ立っているだけでは止まってくれないというではないか。バスが近づいてきたらタクシーのように手を上げて呼び止めなければならないのだろうか。それから20分ほどしてやってきた指宿駅のバスの前で、私は恥も外聞もかなぐり捨てて、全身で乗車意思を表明し、どうにかこれに乗り込むことができた。本当にそこまでしなければ乗れなかったかどうかは定かではない。

 指宿駅行きのバスは、国産UMA・イッシーで知られる池田湖の方を回って指宿駅まで走っていくらしい。これはこれで拾い物だったのだ。それにしても車中には私以外の客の姿が見えない。予想はしていたことだが、これが田舎の路線バスというものなのだろうか。運転手のおじさんも同じようなことを思っていたらしく、少し走っていくうちに車内でただ一人の客に向かって声をかけてきた。おじさんが言うには、やはりこの路線バスは乗客の数も少ないローカル線で、私のような遠来の客が乗り込んでくることは非常に稀なことらしい。そしてそういう客のお目当てについては大方の見当はついているらしく、「開聞岳には登ったのか?」との問い。「今朝登ってきた」と答えるとさすがに驚いた様子。それはそうであろう。昼前のこの時間に山を下りて指宿駅に向かっているとなると、ちょっと常識外れの時間の登山であると言わざるを得ない。それでもおじさんは気を取り直して(?)、「今日は頂上辺りも晴れてるから天気が良かったでしょう」。言われてバスの中から振り返り見ると、私が登った時は雲に包まれていた山頂部が、今はすっきりと晴れている。そういう事情を告げると「それは残念だったね」との答え。続けて「晴れていれば屋久島の宮之浦岳なんかも見える」と言い、「自分は開聞岳にはしばらくの間登っていない」とも。おじさんの話はなおも続く。数日前の大雪が、名古屋では50年ぶりだったが鹿児島では80年ぶりだったという話、この辺りで開催されると言う「なのはなマラソン」の話、定年間近なのでこうしてお客の少ない路線で楽をさせてもらっていると言う話、一般の人と休みが合わない路線バス運転手の悲哀、名古屋について、等々。座席からだと顔はハッキリと見えないのだけれど、話してみると非常に気の良いおじさんである。こういう出会いが旅の醍醐味であり、これぞ一期一会として心に深く刻み付けるべき物なのかもしれない。やがて指宿駅が近くなったところでバスには馴染みの客が乗り込んできて、おじさんは彼等との話を始めた。やはり開聞から乗り込む私のような客はよくよく珍しいらしく、おじさんは土地の言葉で顔なじみとの世間話に花を咲かせていた。

 なんとなく後ろ髪引かれる思いで指宿駅前に降り立つ。大阪での出来事といい、今回の旅は良い出会いに恵まれている気がする。

 朝は暗くて良く見えなかった指宿の駅だが、昼間に来てみるとわりと小ぢんまりとした駅である。指宿温泉などの観光地を控え、地域のターミナルとして機能しているらしい駅なだけに少々意外な印象だ。しかしさすがに列車本数はそこそこあり、短い待ち時間で鹿児島中央へと走り始めることができた。途中、往路とは反対、右側の車窓から桜島の姿を望むことができた。こうして目の当たりにするのはもちろん初めてなのだけれど、視界を覆うようなボリュームのある山容は、鹿児島の象徴たるに相応しい堂々たるものだ。音に聞く噴煙は見えなかったのだけれど、その頂近くに残る白い冠雪が印象的だった。






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