三度、鹿児島へ

 一時はどうなることかと思ったが、15時少し前、鹿児島中央駅に無事到着。鹿児島にやって来るのは、これが2年ぶり、3度目。万感の思いを胸に、「鹿児島か…何もかも皆懐かしい」などと感傷に浸ってみたくもなるが、それなりに馴染みのある鹿児島の街とは言え、新幹線でやってくるのはこれが初めてだ。初回は肥薩おれんじ鉄道経由の鹿児島本線、前回は日豊本線を使って、この駅にたどり着いている。それに加え、新幹線は駅直前まで真っ暗なトンネルの中を走るため、懐かしい鹿児島に着いたという実感はもう一つ薄い。ホームに降り立ち、エスカレーターを降り、アルバイトの薩摩おごじょたちから九州新幹線全通を祝した記念品および観光パンフを手渡されたところで、ようやく本土最果ての地に到達した実感がわいてきた。うつくしま鹿児島。駅の外に出ると、地震の被災地から遠いからと言うわけでもないだろうが、実質的な新幹線開通イベントと言えそうなものが、賑々しく開催されていた。

 しかし、無事たどり着けたのは良いのだが、当初の予定よりは大分早い鹿児島着である。本来なら、鈍行を乗り継ぎ、19時過ぎに鹿児島中央駅に到着するつもりでいたため、これから何をするべきか、思案に暮れることになった。結局、無難なのは城廻りであろうと、鹿児島の中心部近くにある清水城を訪ねてみようかと考え、やや距離はありそうだったが、徒歩でこれを目指してみることにした。

 ぶらぶらと歩く鹿児島の街中には、色々と物珍しいものもある。大久保利通像なんかもいかにもそれらしいのだが、妙に鹿児島らしさを感じたのは、街のいたるところに置いてある、火山灰をつめた袋だった。大量の降灰があった日などは、降り積もった灰を集めて袋に入れておくと、燃えるごみ・燃えないごみの感覚で、市によって回収されると言うことらしい。今日は、特に良く灰が降っているというわけでもなさそうだったが、庇のない駐車場などに停めっ放しになっている車には、わりと汚れたものも多いから、全く灰が舞っていないということもなさそうだった。まあ、普段そこで暮らしている鹿児島市民には何が面白いのか理解に苦しむという話であろう。

 それにしても、ほとんど下準備もなしにやってきただけあって、一向に清水城に近づいている気がしない。と言うより、近くにまではやって来ているのだろうが、最後の最後で現地に行き着けないでいる気がする。何だかんだと言いながら、鹿児島中央駅に着いてから1時間半が過ぎようとしていた。元より、それほど攻城を熱望していたわけではないので、倦怠感に負け、ついに鹿児島駅まで撤退することにした。鹿児島駅は、鹿児島中央駅よりも一つ宮崎寄りの、日豊本線の駅なのだが、してみると一駅分プラスアルファを歩いたことになる。

 日豊本線も運休と言うのが午前中に掴んでいた情報である。この時点で運転が再開されていれば御の字と思ったのだけれど、幸いその通りになっていた。とは言え、ここから普通に鹿児島中央駅まで引き返していると、まだ時間が余ってしまうので、目的もなしに姶良・加治木方面への列車に乗り、ほどほどのところで引き返してみることにした。考えようによっては全くの無駄足だが、どうせ18きっぷを使っての乗車だし、錦江湾越しに桜島を眺めるのも、まあ悪くはないかなと思った。反面、どうせならもう少し早く清水城攻めを切り上げ、岩剣城の遠景写真でも押さえに動いていた方が生産的だったかなとも思う。

 結局、加治木駅まで進んだところで、再び鹿児島中央行きの列車に乗り換えた。程よく時間つぶしが出来たと言うことになるのか。鹿児島中央駅に着くと、ちょうど時刻は夕食時になっており、前回の鹿児島旅行の時と同じように、アミュプラザ内のざぼんラーメンで夕食とした。本当は、るるぶなどを見て鹿児島市内の鹿児島ラーメン屋(と言うのか)を研究していたのだが、天文館方面まで遠征していく元気を、清水城攻めで消耗してしまっていた。ざぼんラーメンと言う選択は、低きに流れたと言う気がしないでもなかった。

 夕食後、駅前のダイエーで翌日の開聞登山のための物資を調達し、これまた前回旅行と同じ、すずやホテルにチェックイン。テレビをつけると、震災に関する情報が奔流のように報じられており、その想像以上に悲惨な状態に、呆けたように画面を眺めていた。因果なもので、旅行以上の非日常の世界に放り出された気がした。もっとも、後になって日本中の懸念の元となる福島の原発に関する報道は、この時点ではまださほど時間が割かれていなかった。






九州新幹線全通初日 TOP 薩摩の秀峰








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