日本一の石垣の城

 日本全国にお城はたくさんあるけれど、その昔に本当に殿様が住んでいた城と言うのはかなり数が限られている。多くは明治維新の時に壊されたり、それを乗り越えても太平洋戦争時の空襲で灰燼に帰してしまっていたりする。幸運にも破壊を免れた城の中で、史跡として特に貴重であるとして国宝に指定されているのが姫路城、松本城、彦根城、犬山城の4城。天守が現存するのはそれらを含めた全12城だ。丸亀城は、幸いにして今日まで築城当時の天守閣が残されているお城の一つだ。なお、四国4県では丸亀城の他、高知城と、愛媛の松山城・宇和島城が現存天守の城となっており、さながら現存天守銀座の様相を呈している。高知城はもちろんこの旅の大目標の一つなのだけれど、松山城と宇和島城も最初の予定では行くつもりだったんだけどなあ。

 さて、天守が保存されているとは言うものの丸亀城の規模は比較的小さなものだと言って良い。大阪城や名古屋城のように、再建の巨大天守閣に比べれば圧倒的に地味である。その質素さはあまりお城に興味のない人なら拍子抜けしてしまうほどのものだ。姫路城のような現存の巨大天守閣は非常に稀有なもので、だからこそあのお城は世界遺産になり得たのだということは、お城観光の際の予備知識として知っておいた方が良い。

 丸亀駅で電車を降り、車内から見えた城の石垣を目指す。特に地図などは確認しなかったけれど、おおよその方向性さえ間違っていなければやがてたどりつくだろう。それほどに丸亀城の石垣は高く築かれている。目測ではビルの10階以上に相当する高さのようにも見えた。詳しく調べてみるとその高さは60メートルにもなり、これはもちろん日本一の高さである。丸亀は小さな地方都市だから、街中にそれほど大きな建物もなく、もしかすると市内の至るところから丸亀城の姿を望むことが出来るかも知れない。

 平日の昼間なので丸亀の街中にはほとんど人影が見当たらない。もちろん車は走っているのだけれど、歩行者がほとんどいないのである。途中地元の商店街の中を通り抜けることもあったが、ここにも人は居なかった。日本各地で進んでいると言う駅前商店街の空洞化がここでも進んでいるのだろうか。少々さびしい気分にさせられるが、城のある亀山公園にたどり着いてみると、ここには結構な人出があった。見たところ観光客が集まっているのではなく、主に地元の人たちが集まっているらしい。ちょうど桜の開花シーズンだったこともあり、週末の花見のための準備をしている最中らしい人も居た。和やかな雰囲気で憩う彼らを横目で見ながら、比高60メートルにもなる城の曲輪を上っていく。これが意外にくたびれる。「さあこれから山に登るぞ」という覚悟で上るのではなく、軽い気持ちで取り組んでしまったために本丸近くまで上りきった頃には息が上がってしまっていた。何もない平地の真ん中にぽこっと山があるので人間による盛り土のようにも思えてしまうが、これはいくらなんでも高すぎる。実際に上ってみると天然の山に手を加えて城にしていたのだろうと納得した。もっともこの城は、一時期は石垣に盛り土をし植樹をして自然の山に見せかけていた時期もあるらしい。一国一城令の関係で「あってはならない」城になったのだけれど、もしかしたら使うことがあるかもしれないので完全には破壊せずに保存しておいたのだそうだ。それを後年、この地の領主になった山崎氏が修築したと言う。

 苦労して上った本丸には、これは予想通りにこじんまりとした天守閣が残されていた。金200円也を支払って中に入る。内装はやはり地味だ。木と土と造られた、これぞ日本建築という雰囲気である。ちょっとした展示があったり、日本各地の著名な城の写真が掲げられたりしているが、やはりこの場所からの展望は特筆に価する。高さが高さなだけあって眺めは抜群に良い。眼下の平野に丸亀、宇多津、坂出にかけての街並みが広がり、その向こうにはほんの数十分前に渡ってきた瀬戸大橋が見える。春霞の海のさらに向こうに見える山並みは、岡山県南の山だろうか。

 香川県出身者が言うには、小高い丘陵から眺める一面の平野こそが香川らしい眺めなのだと言う。そうした平野のあちらこちらにため池が点在していれば、なおそれらしいと言うことになるらしい。香川県は「讃岐国」と呼ばれた昔、山が少なく大河川が発達しにくかった地勢からため池を造ることで農業用水を確保してきた。丸亀城からの眺めはそれとはちょっと違う様な気もするが、丸亀城の頂でボーっとしていると瀬戸内の温かい気候風土は伝わってくるような気がするし、次第に旅情もわいてくる。

 さて、次なる目的地は琴平町にあるこんぴらさんだ。これもまた、香川を代表する顔の一つである。






四国上陸 TOP こんぴらさん・はりきり765








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