こんぴらさん・はりきり765

 香川県仲多度郡琴平町は丸亀町のすぐ南に位置する小さな町だ。香川県下の自治体でも急速に合併が進んだらしく、地図を見ていても面積の上でかなり巨大化が進んでいる傾向を見て取れるが、そんな中にあっても琴平町は相変わらず小さい。「こんぴらさん」の通称で全国に知られる金刀比羅宮を擁する町として簡単にその名を捨てるわけには行かないと言う矜持でもあったのだろうか。あるいは特例法の力を借りずとも財政面で潤っていただけのことなのかもしれない。行きずりの旅行者にはそのあたりの事情は分からない。

 琴平までは、予讃線で多度津まで進み、そこから土讃線に入ることになる。乗り込む列車はずいぶんとコンパクトな、典型的ワンマンタイプのものだった。路線名の「讃」は讃岐の讃、「土」は土佐の土、ついでに「予」は伊予の予なのだろう。今走っている土讃線の道のりは、明日高知へと移動する時にも通ることになる。途中には多度津のほかに金倉寺、善通寺といった駅もある。いずれも小さな駅で、あまりちゃんと見てはいなかったが無人駅なのだろう。これまたあまり記憶にはないのだが、線路自体も単線だったような気がする。駅の名前とのどかな風景から四国八十八箇所霊場をめぐって旅するお遍路さんの姿が連想される。だいぶ四国旅行らしくなってきた。

 さすが琴平駅は有人駅だった。規模はあまり大きくないのだけれど、一度駅舎の外に出てみると、そのレトロな造形が強く印象に残る。駅舎の正面にはこんぴら詣での客に向けた垂れ幕がぶら下がり、この界隈が金刀比羅宮の門前町として発達してきたことが一目瞭然にわかる。案内されるまま神社の方に進んでいくと、少し行った所に大きな灯篭があった。江戸時代の商人が寄進した高灯篭なのだそうだ。この町には独特のレトロな雰囲気が漂っている。さらに行くと今ではすっかり見なくなったバキュームカーを見かけた。あまり良い臭いではないだけれど、これもこれで結構レトロだ。

 駅から少しのところにある川を渡ると、そこから先は本格的に神社の門前と言うムードが高まってくる。こんぴら名物のみやげ物らしい「灸まん」の幟が立ち並び、同じくご当地名物の讃岐うどんを客に食べさせる店もちらほらと目に付き始める。すごく歴史の古そうな宿もある。2階の庇の下からは、年代ものの虎の透かし彫りが通りを行き交う人々を見下ろしている。

 宿と言えば近くにはこんぴら温泉郷という温泉街もあるようで、そちらまで行けばホテルも何軒かあるらしい。が、私の今日の宿は例のごとく高松市内のサウナと決まっているのでこんぴら温泉とは縁がなさそうだ。地元の老人会やお達者クラブの旅行でこんぴら詣でに来た年配の客は、こんぴら温泉に宿を取るのだろうなあ。そう言えば、そろそろ良い時間になってきている。私自身のこんぴら詣でも、少々早足で進めないと日のあるうちに帰れなくなるかもしれない。

 こんぴらさんと言えば、1368段にも及ぶ(奥社まで登った場合)と言う長〜い石段でも知られている。あまりに登りが大変だと言うので、お金を払えば籠に乗せて上まで運んでくれるサービスもあるほどだ。また、沿道には参拝客向けの杖も用意されている。杖といってもそれなりに形を整えられたやや頑丈な棒切れといった簡素なものだが、使っている人はかなりよく目に付く。使い終わったら適宜返却する仕組みになっているのだろうか。それにしても手持ちの地図にも奥社までの段数が明記されており、ここまで1368をアピールされたのでは挑まずにはいられなくなってくる。ここまでされて本宮まで詣でて終わりにするのは敵前逃亡にも等しいではないか。もちろん、登るからには自分が登った段数も数える。1368段の登りはじめがどこなのかははっきりしないのだけれど、とにかく一番最初に出くわした明らかな段差からカウントを開始した。

 階段が始まるあたりまで来ると、道沿いに立ち並ぶ店も本当に門前らしくなってくる。今登っている石段がすでにこんぴらさんの参道だとすると、仲見世と言うことになるのだろうか。頭上は頑丈な障子紙のように見える素材で作られた「簡易屋根」とでも呼ぶべきもので覆われていて、まるで和風アーケードのようだ。道沿いには土産物屋が立ち並ぶ他、仏像能面をはじめとする木彫り製品を専門に扱う店もあったりして、雰囲気としてはちょうど京都の清水寺へと向かう坂道のそれに近い。結構興味深く店並みを眺めていたら、今までに何段登ってきたのか正確な数字が分からなくなってしまった。何だかちょっと残念なことをした気分だが、やがて石段の脇に手書きで「200だん」と書かれているのを発見した。多分、今までに登ってきたのもおよそそんなところだからこれは信じていいだろう。さらに行くと今度は立派な石碑までもが「ここまで○段、御本宮まで△段」と教えてくれた。あと491段だそうだ。「五人百姓」とあるのは、一言で言ってしまえば金刀比羅宮の御用商人のようなもののことらしい。

 さらに進んでいくと今度は、道に面した広場に船の碇を模したモニュメントが設置されているのを見つけた。何でも、太平洋戦争時に日本近海の機雷除去作業に携わり、ついには殉職した79名の顕彰のために建立されたものなのだそうだ。






日本一の石垣の城 TOP こんぴらさん・駆け抜けて1368








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