冬の旅

 2010年12月22日、水曜の夜。翌23日は天皇誕生日で休みである。24日金曜は有給休暇を取った。つまり、祝日と土日を有給で連結した、4連休となる。その連休の入口となる水曜の夜。夜行バスで旅する際の、一種の儀式のようになっている行動なのだが、ビックカメラの西側にある本郷亭でラーメンを食べ、バス乗り場へと移動する。

 どうやら名古屋駅前の松坂屋がなくなる関係らしいのだが、JR東海バスの乗り場が従来の桜通側から駅西のビックカメラ前に移っていた。だからと言ってさほど大きな変化は無いのだけれど、新しい待合室は比較的手狭に感じられる。と言うより、バス待ちの客の多くが、本当に待合室に集中するようになってしまったと言うべきか。乗り場の真横にはマックもあるが、総じて、手近なところに時間つぶしのできるような場所がない。まあ今回は、待合室にやってきた時間が時間だった。ほどなく、乗車予定のバスが到着した。

 23時、バスに乗り込み、車中で一夜を過ごす。いつだったかに乗った夜行バスは、車内の飲み物サービスが充実していた記憶があるのだが、この四国行き路線・オリーブ松山号は、そういったサービスがさほど充実していない。そして、乗客向けの休憩は6時間以上に及ぶ旅程の中でも一度しか取られない。当然車内にはトイレがあるので、この体制でも普通はさほど問題にならないのだが、私の場合、本郷亭のラーメンが災いし、耐え難い喉の渇きと戦いながらのバス移動となった。お茶はあるのだけれど、何かジュースのような甘みのあるものが飲みたい!

 明朝5時に徳島駅着。私は本来松山駅までの客のはずなのだが、ここで下車。最初の目的地である勝瑞城は、徳島駅からもさほど離れていない。日の出の早い盛夏ならば、下車後早々に動き出せていたのだろうが、暗い中で田舎町の平城跡に行ってもはかばかしい成果を得られるとは思えず、徳島でしばらく夜明けを待つことになった。実は昨シーズンも、同じようなパターンで徳島城攻略のため、凍えるような駅構内で夜明けを待ったことがあったため、今回は駅から少し離れたマックでいくらかの時間をつぶした。

 やがて、白々と夜が明け始める頃、ホームにやってきた高徳線に乗り込み、まずは勝瑞城を目指すことにする。勝瑞城は、徳島の北方、板野郡藍住町にあり、最寄り駅はその名もズバリの勝瑞駅である。

 この城は、戦国時代の一時期、隆盛を誇った三好氏の城である。三好氏の戦いは、足利幕府内の政争と言う性質が強かったために、その戦国大名としての実績は意外に喧伝されることが無いのだが、実力的には大大名と言って差し支えない。そして勝瑞城は、大大名の城に似つかわしく、往時には戦国城郭としてはかなりの規模を誇り、その城下町も中世屈指の規模だったと伝わる。

 徳島駅から20分弱で勝瑞駅に到着。駅周辺は、想像していたよりはずっと開けているが、戦国時代の栄耀栄華も今は昔の、やっぱり普通の田舎町である。ここから幹線道路に出て、しばらく道なりに歩いて行くと、ほどなく勝瑞城跡にたどり着いた。城跡には三好氏の菩提寺である見性寺が建っているので、初見でも分かりやすいのだが、あまり城跡らしいものは残されていない。寺の周りに土塁と水堀(らしきもの)はあるが、堀の方は農村地帯によくあるため池と大差がない。いや、事実そういったものだったのかもしれない。

 さほど印象には残らない勝瑞城ではあったが、今日はまだ始まったばかり。本当に印象深い出会いはこの先に待っているに違いないと思い直し、次なる目的地である白地城へと向かった。






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