四国のへそ

 阿波池田の駅は、過去に何度か訪ねたことがある。もちろん、前回の高知行きの時にもやって来ているし、その時は、乗り継ぎの関係で改札の外まで出て時間をつぶしている。さらにその時の旅行記でも書いているが、今から30年近く前にも、空港行きの列車に乗り込むため滑り込んだことがあったはずだ。何かと思い出が多いのは、この駅が四国鉄道交通のハブとなる駅だからだろう。四国の地図を開くと、この駅が文字通り四国の臍とも呼べる場所に位置していることが分かる。

 この駅で列車を降り、訪問するつもりでいた白地城もまた、往時は四国の要と言える城だった。土佐一国統一を成し遂げ、すでに斜陽の三好氏が治める阿波の切り取りに着手した長宗我部元親は、阿波はもとより、伊予、讃岐への交通の結束点となっているこの場所に、四国統一の覇望をかけた城を築いたのであった。一方、現在の同地が徳島県三好市となっていることからも分かるとおり、元親以前を遡れば、この周辺は三好氏発祥の地でもあった。四国の歴史を紐解く上では、重要な場所なのである。

 問題は、白地城の場所が、駅から離れていることだった。最近になり、城攻め旅の参考になればと、旅行計画作業に導入したサイト「ちず丸距離」によれば、駅からだと1時間ほど歩いてようやくたどり着けるような位置関係であるらしい。「まあここではわりと長めに時間を確保してあるから」と歩き出したは良いが、予想外に入り組んでいた駅周辺の道路にはまり込み、国道に出るまででかなり時間をロス。本来ならば城跡近くまで移動しているはずの時間になっても、全行程の半分と歩けていないという事態に陥った。

 ここで一考する。確かに四国戦国史上重要な意味を持った白地城だが、現在では遺構と呼べるほどのものが残されていない。実は、城跡にはかんぽの宿(現在は「あわの抄」という施設に変っている)が建てられ、造成工事のときにあらかたの遺構は消えてなくなっていると言う。現在、城の故地に行っても石碑があるだけらしい。ここで無理押しすれば後の日程に障りがでてくることも考えられるが、そうまでするほどの城か。今回駄目だったとしても、この辺りはまだ香川からも近く、車を使うことがあれば愛媛方面からも比較的容易にやってくることが出来る。「次回」は思いのほか近いうちにやってくるのではないか。

 結局、今回の旅での白地城攻略は見送ることとし、阿波池田駅まで引き返す。となると、次なる目的地は高知県の四万十市(旧中村市)ということになるのだが、阿波池田より先の四国山地を走りぬける土讃線はごく本数が限られてくるため、特急「南風」号に乗り込んで高知駅まで移動することに。今日これから先は、高知地方の普通列車の乗り継ぎの悪さのため、何度か特急を利用することになる。18きっぷ旅と言うには、金のかかる旅だ。






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