土佐のライバル

 高知駅に程近いトヨタレンタカーでヴィッツを借り、まずは東に向かって走り出す。本日最初の目的地は、安芸市にある安芸城である。

 高知県内観光における安芸市と言うと、この旅行に先立って最終回を迎えた大河ドラマ「龍馬伝」におけるもう一人の主役、岩崎弥太郎の生家がある土地という位置付けらしい。少なくとも、時期的なものもあり、弥太郎の生家をアイキャッチにして、市内各地のスポットに誘導しようという観光PRは、この旅行の間にも何回か目にしている。しかし、私が目指す安芸城は、そうした観光案内からも漏れがちな、マイナースポットのようである。城は、長宗我部氏と土佐国内で勢力を競った安芸氏のものである。

 国道32号を走って高知市街を脱出した後、今度は国道55号に入り、なおも東進を続ける。昨日来の高知県内の印象というと、やはり人口のさほど多くない田舎のそれだったのだけれど、いざ道路を走ってみると、交通量はそこそこあり、本当の過疎地を走っているような場合ほどにはスムーズに移動できない。もちろん、渋滞が発生するほどではないのだけれど、当初の読みよりも早い時間に着けるのではないか…という考えは、取らぬ狸の何とやらに終わった。道中、龍馬にちなむ史跡なども何箇所かあったようだが、余剰時間に立ち寄るというようなことも出来ず、安芸市内に入る。

 安芸城は、安芸川に面して残された城跡である。55号線が川を渡る直前で左折し、川沿いに北上。これで城跡には簡単にたどり着けたのだけれど、予想に反して近くに自動車を停めておける適当な場所がない。想像していたよりも民家の多い地域であり、その辺の道路上に駐車しておくのは気がさすし、と言ってまともな駐車場は少し離れたところにしかない。結局、城跡の周りをぐるりと回った後、1回目には城跡にある資料館を訪ねていたと思われる宅配便の車が止まっていた余地に車を停め、取り急ぎ城攻めを済ませることに。

 前述したとおり、安芸城はもともと国人領主である安芸氏のものであったが、当主国虎の時に長宗我部元親に敗れ、城も含めた安芸郡は、長宗我部氏の領土となった。ところが長宗我部氏は、関ヶ原の戦いで西軍に与したため、戦後改易となり、土佐一国は山内氏の治めるところとなる。そして安芸郡は、山内の重臣・五藤為重に与えられる。為重は安芸城に入ったのだが、一国一条令後も安芸城を「土居」と称し、居所として使い続けた。実際には、土塁などの城郭遺構が、明治まで温存されていたようである。城跡とその周辺には今もその名残が残るようだが、私はどちらかというと安芸氏の城としての安芸城を見に来たため、何をおいても、往時には本丸に相当したであろう小高い丘の上に登った。峻険な山上ではない。元来が国人領主の城であり、元親による土佐統一後は、国内の一拠点という以上の意味合いを持ち得なかったためもあるのだろう、小ぢんまりとした城跡だった。

 ともあれ、安芸城の攻略を果たし、次なる目的地・岡豊城を目指す。途中、弥太郎の生家というのも見てみようかと思ったが、それよりは長宗我部の本拠を早く目の当たりにしたい願望が勝り、今度は西へと取って返す。






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