辛酸の城

 岡豊城は、南国市にあった城だ。戦国のある時期まで長宗我部氏の本拠地として使われていた。城主、城の歴史、現存遺構等を総合すれば、今回の旅では最大の見所となる城となるはずである。現在は、城址の一部が高知県立歴史民俗資料館となっている。安芸城からの水先案内には、カーナビでこの施設を目的地に設定すればよかったのだが、正式名称を思い出せず、「岡豊城」で施設名検索をかけて表示された住所を最終目的地に設定した。基本的には国道55号線を西へと引き返し、高知市に入るか入らないかのところで32号線へと進むだけの簡単なルートだったのだが、ナビに表示されたのは、実は「レストラン岡豊城」という、名前以外は城と何の関係も無い施設だったと言うオチがついた。とは言え、レストランは城跡からさほど遠くもないところにあったので、強ち外れとばかりも言えなかった。

 岡豊城は、香長平野に突出する丘陵上に築かれていた。完全なる独立丘か、後背に四国山地を控える舌状丘陵か、正確に地形を読み取ることは出来なかったが、少なくとも三方向までは平野部に面している。城内最高所に位置し、城の中心となる「詰」に立ってみると、周辺の低平地を容易に見渡せる。正に土佐の支配者にふさわしい城、と言いたいところだが、この城を本拠にしていた頃の長宗我部氏は、土佐国内で互いにしのぎを削り合う国人領主の一人に過ぎなかったし、長宗我部元親の父・国親の幼少時には、一度この城を追われている。

 城跡は、公園として整備され過ぎている気がしないでもなかったが、堀切跡や礎石建物跡、復元された土塁・石垣など、城跡としてはまずまず見応えのある内容だった。気になるのは主郭部の下に営まれている歴史民俗資料館で、見学すれば有用な情報も数々あったのだろうが、次に本山城が控えていたため時間が不足気味になり、それが出来なかったその時の私には、資料館の建設によって城の遺構がどの程度のダメージを受けたのかばかりが気になっていた。

 なお、岡豊城散策の最中、ヘタリきっていた持参のデジカメバッテリーがついにパワー切れを起こし、昨日ケーズデンキで購入した予備バッテリーに切り替えることになった。しかし、南無三、電器店で買ったばかりの予備バッテリーは、完全な空っけつでこそなかったが、フルパワー状態には程遠く、いつガス欠を起こすか分からない状態。考えてみれば当然の話なのだが、予備のバッテリーを購入できたことで電池切れの懸念から解放されたつもりになっていた私は、ここで再びいつ切れるとも知れないバッテリーを抱え、ペースをセーブして各所の写真撮影に臨まなければならなくなった。






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