山間の城

 カメラのバッテリー残量に不安を感じながら、国道32号線に沿い、車を北へと走らせた。四国最後の目的地となる、本山町の本山城を目指すためだ。

 本山城は、城名と同じ、本山氏の居城である。長宗我部氏や、すでに訪ねた安芸城の安芸氏と同じく、戦国土佐に覇権を唱えようとした土豪の一角である。長宗我部国親から元親の時代、盟主的立場にあった一条氏と結び、長宗我部氏を挟撃する形を取った安芸氏とは異なり、本山氏は独力で長宗我部氏に圧迫を加え続けたようである。私はそれほど土佐戦国史に詳しいわけではないが、少なくとも安芸氏に関する記述の中に見られるほど、本山氏の他勢力との連携は表立ってはいない気がする。

 本山の存在した場所は現在では長岡郡大豊町となっている。山間の町と表現するに相応しい立地にあるが、本山氏はより生産力の高い平地部を求め、長宗我部氏の領土を蚕食しようとしたのであった。かたや長宗我部氏にしてみれば、外敵の脅威からの自衛と言うこともさることながら、土佐国外への進出を志し始めた時には、土佐北部に勢力基盤を置く本山氏は、その計画の障害となっていた。本山城のあった大豊町の中心部こそ少し離れているが、現在も国道32号線やJR土讃線、四国自動車道など、四国交通の幹線が本山の東を走っている。

 安芸城を目指した時とは違い、山間へ山間へと分け入っていくようなこの道は、順調な流れを見せた。事前には、路面の凍結も心配していたのだが、そんなこともない。四国の酷道としてその名も高い、国道439号線に入り本山の町中を目指す。が、何もかもがそうそう思い通りに進むはずもなく、本山町に入ったまでは良いが、肝心の本山城が見つけられない。城そのものは山城で、役場などがある古くからの街並みの奥にあるらしいのだが、登城路というか登山道が見つからない。一応、道すがらには城までの道順を示した、古いが大きな看板があったのだけれど、古い街区であるがゆえに車を停めておくスペースすら満足になく、その確認すら思うに任せない。取って返そうにも、方向転換にさえ難渋する。次第に、この場所に車で来たことが失敗だったと思い始めると共に、成果の上がらない彷徨に時間を費やしたことで、加えてもともと時間に余裕がなかったこともあり、本山城の攻略に充てる時間がなくなったと判断し、攻略を断念せざるを得なくなった。

 やるせない気持ちで、最初に車を借りた高知の駅前へと引き返す。「また来ることもあるだろう」。そう自分に言い聞かせてはみたものの、本山の町は車ではもちろん、公共交通機関での移動にも難がある。本当に次があるならば、その時こそは、城までのアクセスを事前に把握しておかなければなるまい。
 






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