■DATA
 経路
  鶴舞-塩尻-新府 → 新府-上諏訪 → 上諏訪-塩尻-鶴舞
 通常時運賃総額:8520円


 縁遠し、中央線

 18きっぷの旅・第4回目の出発駅は、中央線の鶴舞駅だった。全5回の18きっぷ旅の中で名古屋駅スタートでなかったのは、この時1回きりである。目指す先は山梨県韮崎市・新府城址。名古屋から韮崎を目指す場合、太平洋伝いに東海道線で進み、富士山が見えるようになってきたあたりで身延線に入るというルートもあるようだが、あまり現実的なプランであるとは思えない。名古屋発の場合はやはり、東濃を抜けて木曽の谷に入り、諏訪を経由して南アルプス伝いに南下する中央線で行くルートが妥当な線だろう。中央線は名古屋駅を出るとまず、岐阜方向とは正反対に向かい、名古屋駅から見て南東方向に位置する金山駅に止まる。特急でも普通列車でも止まる。そこでたくさんの乗客を乗せた後、初めてV字を描くように針路を北東方向に取る。名古屋でも東の外れに位置する我が家から名古屋駅を目指す場合、嫌でもその途中で中央線の線路と交差することになるので、電車に乗り込みたい場合には、その線路伝いにある適当な駅で列車を捕まえればよい。その「適当な駅」を千種駅にするか、鶴舞駅にするかでは多少悩みもしたが、結局は冒頭で述べたとおり、鶴舞駅にした。つまるところ、駅までの足である自転車の置き場所の関係だ。千種駅の自転車置き場は、そこらへんの広くもない歩道にまでせり出している有様で、どうも自転車泥棒に遭いそうな気がして仕方がない。

 中央線は、どうにも馴染みのない路線だ。特急ならいざ知らず、普通列車に乗車する場合には東濃の片田舎にある小さな地方都市を巡ることぐらいにしか使えないためである。よくよく考えてみれば、まだ名古屋住まいではなかった頃に金山から鶴舞まで移動するのに使ったことがあっただけのような気がする。

 とは言え、東濃方面と私の縁がこれまでまったく存在しなかったかと言えば、そんなことはない。19号線完走を目指した旅も、自転車で死ぬほどの思いをした道のり(チャリンコ地獄旅参照)も、全て舞台は東濃だった。車では何度も来ている場所だ。この界隈まで来ると目に映る風景もさすがに山ばかりとなり、いつぞやの伊吹山と同じく、これまた100名山の一つで2000m級の高さを誇る東濃の山々の盟主・恵那山の山容が印象的に残る。「エナ」とはズバリ「胞衣」である。日本神話のアマテラスの胞衣が納められた事に由来する山名なのだ。中央道には恵那峡SAがあり、規格外の長さを誇る恵那山トンネルもある。恵那と恵那山の地名は否が応にも記憶に残る。

 さて、では中央線から見た恵那山はどうだったかというと…。朝が早かったせいで、定光寺駅を過ぎたあたりから中津川の駅に着く直前まで眠りこけてしまった。覚えているのはせいぜい、チャリンコ旅の時に多少縁付いた釜戸駅が意外にも自転車駅を備えていたことぐらいだ。今日の行程は強行軍となる。鶴舞駅発6:24というのもさることながら、新府での滞在時間がわずかに30分しかない。これまで「行ってかえってくる事ぐらいしかできない」と言って敬遠してきたのは、ひとえにこの現地滞在時間の短さのためである。色々調べてみて、新府駅から新府城までの距離が徒歩10分ほどと思いのほか近く、城跡自体も見て回るのに大して時間のかかるものではないこともあって、今回の英断となったわけだ。目的地を新府城のみにすると、塩尻駅での乗り継ぎの関係でかなり長い空き時間が発生するため、これにオプションで上諏訪駅近くの高島城見物を付け加えることにした。全体を通してみれば電車に乗っている気楽で怠惰な時間が長いのが救いかもしれない。

 中津川の駅には7:33に到着した。中津川市は、最近になって長野県に属していた山口村を域内に吸収したことで、名実共に木曽路の玄関口となった自治体である。山口村は木曽路最南の宿場町・馬篭宿があった村である。ここで、7:39発の松本行きだかに乗り換える。どうせ最後まで付き合うつもりがないので、終着駅がどこだったかの記憶もえらくあいまいだ。トイレで用足しをした後、アナウンスを頼りに松本行き(仮)が出るというホームに向かってみると、思いのほかたくさんの人が集まってきている。中高年のグループが多い。この人の多さはやはり、18きっぷの効用だろうか。自分がそうだからと言って周りをみな同類と考えるのは、少々我田引水的に過ぎるかもしれない。だが、中にはどう考えても18きっぷ利用者だろうとしか思えない一団が存在するのも事実である。アルピニストを思わせる大荷物と、中でも目立つ三脚を抱えた彼らは、十中八九鉄道マニアのような気がする。見える。私にも敵のマニアが見えるぞ。木曽路には御嶽やその名もズバリの木曽駒ケ岳などの高山も存在するので、現実に登山客である可能性も完全には否定できないのだが、なんと言うのか、彼らの顔立ちや立ち姿に精悍さがかけるような気がするのだ。私も基本的には彼らと似たようなポジションに住んでいるので、感応するものがあるのかもしれない。

 中津川から先は、またしてもワンマン列車だった。現在の職場に思いがけずその道の玄人がいたので、彼にワンマン列車の正体について問いただしてみたところ、さすがにワンマンバスなどのように乗降客がいない場合には駅を素通りしてしまうということはないようである。考えてみれば、日本の鉄道は世界に誇る精妙なダイヤグラムに則って運行しており、利用者がいないからと言ってホイホイ駅を素通りしていたのでは、そのちょっとしたイレギュラーが他の列車に与える影響は計り知れない。なんと浅はかな考えだったことか。まあ結局のところ、後乗り前降り方式で乗務員に運賃を支払い、人件費その他を安く上げるためのものなのではないかと理解した。僻地ではよくあるタイプの列車らしい。

 しかし中央線は意外なことに、電化されているのだと言う。つまり、奈良行きのときのような音と振動の激しいディーゼル車ではなく、所謂普通の電車に揺られる道中になるということだ。なるほど、木曽の谷を行くこの列車は、東海道線をギュンギュン行き交うそれに比べるとはるかにひなびた車両には違いないが、確かに電車のようだ。比較的静かな車内から、窓の外を通りすぎていく景色を眺めながら行く。もっとも、木曽川に削られた谷間を走る電車だ。座席が山側になればもちろん目の前が山壁になるし、谷側になったとしてもせいぜい1kmほど先はもう山肌になっている。開放感のない景観を四角い窓枠で切り取ってしまっている関係で、思ったほど車窓風景は楽しめない。ただし、木曽路屈指の景勝地・寝覚めの床だけは遮る物のない真上から見下ろせるので、そこだけは特筆に価する。もし興味があるのならば、上松駅の直前あたりでは、進行方向左側の座席に陣取っていると良い(名古屋側から上りの場合)。あとはずっと、なつかしの道19号線を眺めていた。木曽路の風景を楽しむなら前方に視界が開ける車のほうが好適だろう。そういう意味では、列車旅の場合は特急ワイドビューシリーズの先頭あたりに乗るのが良いかもしれない。そんなこんなで、木曽谷区間は思ったほどには面白い景観に出くわせなかった気がする。駅も全般に地味で、観光地的な華やかさがあったのは、記憶にある範囲では木曽福島駅くらいの物だった。






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