幸せ探す旅人のようなもの

 やがて、塩尻市に入る。確認はしていないが、平成の大合併の影響で、前に来た時よりも塩尻の市域が拡大しているような気がする。1年と半年ばかり前にきた時には、木祖村とか楢川村とかがあったはずだ(まだあったらごめんなさい)。駅の所在地表示が「長野県塩尻市」になってから、山梨方面への乗換駅である塩尻駅に着くまで、思った以上に時間がかかった。

 塩尻駅では、乗り換え列車出発までに10分ほどの時間があった。何かするには短い時間だったので、すでに別のホームで待機していた甲府行きの普通列車にさっさと乗り込んだ。かなり蒸す車内だった。この日は、4月2日だった。4月に入ったとは言っても、山国の長野・山梨はまだ寒かろうと、ダッフルコートで重装備してきたのが余計にいけなかった。ポカポカするを通り越し、汗ばむほどの暑さである。見れば、春めいた装いの地元民でさえ列車の窓を開けていくぶんはひんやりとした外気を取り入れている。ちと長野・山梨を買いかぶりすぎていたか。

 この列車の車掌さんは、女性だった。いや、雰囲気的には「女の子」の感じだった。アナウンスを聞いていると、とにかく良く噛み、よくとちる。時期が時期なので、新人なのではないかというのはすぐに考えたが、まさか彼女は今春入社だったのだろうか。だとすると、昨日の今日で現場に立っていることになる。いくらなんでも早過ぎやしないか。しかし、昨春入社にしてはあまりにも案内がたどたどしい。案外、入社前研修で絞られ、名実共に東日本旅客鉄道の社員になるやいなや、車掌の任につくことになっているのかもしれない。そのあたりの事情はよくわからない。岡谷駅につく頃、彼女は相変わらずの頼りない調子のまま、対向列車が五分ほど遅れている関係でこちらも定刻よりも長く待ち時間をとる羽目になったことを説明していた。対向列車が遅れているのは、中央線名物人身事故の影響か。もしこのまま五分遅れで新府駅に着くことになったら、城跡に行っても何も出来なくなるのではあるまいか。不安が募る。

 しかし心配は杞憂に終わったようで、茅野駅を過ぎる頃から、「定刻より遅れての発車」という車内放送が流れなくなった。もともと時間調整の行われる駅だったこともあるのだろうか。この旅行記を書いている4月26日現在、ニュース番組は福知山線列車事故の話題で持ちきりである。この大惨事の直接の原因は今のところ不明だが、一部では伊丹駅でのオーバーランの遅れを取り戻すために、運転士が無謀なスピードを出していたのではないかとも囁かれている。中央線の運転士氏は、定刻よりは遅れていても地に足のついたスピードで運行してくれて良かった。なお、茅野駅で車掌の交代があったらしく、車内アナウンスの声は男声に変わった。

 茅野を越えて先に進む。車窓を流れていく山梨の風景は非常にのどかである。平地が少なく、傾斜地までが居住区になっているのは、こと山梨や長野においてはそれほど珍しいことではない。このあたりの中央線沿いには、国道20号線も走っている。要するに、この谷筋以外は一般の道路や鉄道を通すのに適した平地が無いということなのだ。木曽における中央線と19号線の関係と同じである。国道マニアとしては、いつかは走る機会がやってくるかもしれない20号線のチェックにも余念がない。それにしても、すっかり春霞がかかってしまっているのは予想外のことだ。霞がかかっているのはつまり、気温がかなり上昇しているということである。私のダッフルコート姿は、察しの良い人には遠来の客だと汲んでもらえるかもしれないが、しかし、周りの人たちの春めいた装いの中では格別に浮いている。見ようによっては怪しささえ醸しだしているのではないか。そこそこの数の乗客を乗せた車内で、私は心持小さくなっていたのだが、新府駅も間近となった穴山駅で、怪しさぶっちぎりの男を目にしてしまった。一言で言ってしまえば変質者、露出狂である。

 新府駅で下車。一言で言ってしまえば無人駅である。降りても改札はなく、ホームしかない。車掌さんが切符を検めに来るのかと思って、降りたその場所でしばらく待っていたのだけれど、彼は私に一瞥くれただけですぐに車掌室に戻ってしまった。間もなくホームを出る電車。私の場合は18きっぷ旅だから、そのようなスタイルでも別段問題はないのだけれど、これではキセルし放題ではないか。だいたい、この駅で乗り込む場合には乗車券をどうしたら良い?そんな疑問が脳裏をよぎったが、答えらしきものはすぐに見つかった。こういう場合のためのワンマン列車なのではないか。しかし、当面の重大事は新府城攻略である。今から30分で城まで行って帰って来なければ、次の電車は2、3時間先となる。おそろしいことにこの駅の周りはあまりにも完璧な農村集落で、コンビニも喫茶店も、タクシーをつかまえられそうな場所もない。こんなところに駅があるのが不思議なぐらいの風情である。絶対に遅れることは出来ない。ホームを降りると非常に不親切な周辺案内図があった。かなり古びてペンキが色褪せており、肝心要の新府城がどこにあるのか、この看板ではよくわからない。事前に調べたところでは、上り列車の進行方向右手に城跡が来るはずである。地図のことは見限り、そっち方面に向かって走り出す。表現上のものではなく、本当に走った。ホームに駆け込んだ経験は何度かあるが、ホームを降りるや走り出したのはこれがはじめてのような気がする。

 幸い城跡は簡単に見つかり、幸か不幸かじっくり見るほどのものではなかったため、一通り流した後は早めに引き上げることにした。往路で走ってきた甲斐もあって(山梨で使うとしっくり来る言いまわしだなあ)、時間ギリギリどころか、乗車予定の電車の出発までに10分ほどの余裕がありそうだった。そのはずだった。ところが、城と新府駅の見通しを遮る小山の脇をすり抜けたところで、まだ少し距離のある駅のホームに列車が止まっているのが見えた。しまった!出発時間を間違って記憶していたか!?軽いパニック状態に陥り、焦燥感に駆られて走り出す。他所事を考える余裕などなくなっているはずの頭の中ではしかし、「銀河鉄道999」のテーマが流れ始めていた。考えてみればあの漫画、「999の発車時刻に間に合わなくなって半永久的にその星に閉じ込められそうになる」というシチュエーションが非常に多かったような気がする。今の私がまさにその状態なのだ。松本零児は今の私のような経験を幾度となく積んで来たに違いない。だからこそあのような場面を描くことが出来たのだ。それにしても星野鉄郎少年には、999の停車時間を教えてくれる車掌さんがいて、各銀河系の星々の事情に通暁したメーテルが同行していたけれど、私にはそんな人たちはついていない。ちょっとした油断一つで、取り返しのつかない大失敗を招きかねないのだ。厚ぼったく重いダッフルコートも、大した量ではなく重くもないが荷物の詰まったリュックサックも、いざ走り出してみると非常に邪魔だ。ここのところ全力ダッシュなどしたことがなかったため、みっともなくも足がもつれそうになる。そしてそれだけ必死の思いをしたにもかかわらず、電車は動き出してしまった。…東京方向へ。

 何のことはない、駅に停車していたのは私とはもはや関係のなくなった上り列車だったのだ。そのことが分かると、どっと徒労感が押し寄せてきた。後には途方もない喉の渇きが残ったが、新府駅界隈には見たところ自動販売機の類すらなさそうだった。仕方がないのでベンチにでも座って待とうと、駅のホームに上がる。階段の踊り場当たりでタバコをふかしていた地元のおネエちゃんは、汗だくになりながらやってきた男を怪訝そうに眺めていたが、そんなことを気にしている元気もない。いっそふてぶてしいぐらいの態度でおネエちゃんの脇を通ってホームに上がると、そこにはベンチすらなかった…。






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