洛北さんぽ

 ともかく、紫野界隈を20分余りうろうろした後、諦めて先に進むことにした。近傍の、一休さんに縁があるという大徳寺に寄り道していく。何か琴線に触れるものがあったら拝観していこうかとも思ったが、そうでもなかったので、とりあえず流しただけで終わった。

 さらにそこから大報恩寺へ。寺としての縁起は詳しく知らないのだが、おかめさんにかかわりのあるところだというので、寄ってみることにした。鎌倉時代、このお寺を建てるにあたって、当代一流の名工が棟梁となって工事が始まったのだが、この人がうっかり大切な部材の寸法を誤って切ってしまったのだという。本人の懊悩は深かったそうだが、その妻であった阿亀さんが出した知恵により、その難局を乗り切ることができた。しかし、阿亀さんは自刃。天下に聞こえた名工が、妻の口ぞえに助けられたことが知れわたる恥辱を恐れたのだった。しかし、誰あろうその夫により、阿亀さんを悼む宝篋印塔が建てられ、この逸話は世人に知られることになった。

 現在はそのおかめ塚の並びに、阿亀さんの銅像も建っている。写真によってそのフォルムは前もって知っていたのだけれど、実際目にしてみるとかなり大きな像である。見た目はそのまんまおかめさんなので、ある種独特の存在感がある。像のぐるりの石壁に、なにがしかの寄付をしたであろう企業の名前が刻印されている。多くが建設会社の類である事は、やはり故事に由来する物なのだろう。

 大報恩寺を後にし、北野天満宮へ。さほどの思い入れがあったわけでもないが、神社としては非常に有名なところだし、道すがらにあったので立ち寄っていこうと、そういう感じだった。新年を間近に控え、境内には初詣体勢が整えられつつあった。どういうわけか行列ができるほどの参拝客があった。受験生がらみかとも思われたが、それにしては年の行った人も多い。変わった風潮である。

 この後は、大将軍八神社を挟んで仁和寺に向かうつもりでいたのだけれど、そんな私の視界に飛び込んできたのが嵐電北野白梅町駅だった。自販機で一服してみようかと駅前まで行ってみたところ、結構本数が多いらしく、しかも途中の駅には御室仁和寺駅というのがある、明らかに仁和寺の最寄り駅で、ものの数分もあればたどりつけてしまうらしい。今回の旅も昨日からの続きで地味に歩きまわっているため、このまま仁和寺まで歩くか、嵐電を使うかは悩むところだ。が、結局大将軍八神社は次回以降に持ち越しとし、電車で仁和寺に行くことにした。こういう機会でもなければ、嵐電に乗る機会もあるまい。

 看板に偽りはなく、あっという間にたどり着いた御室仁和寺駅。仁和寺駅もまた目と鼻の先にある。駅舎からだと、その山門が風格あるたたずまいを見せている。

 仁和寺は、宇多天皇により創建されたお寺である。ただ、古典の教科書にも採用されている吉田兼好の手になる徒然草の、「仁和寺にある法師」の段にその名が出てくる寺院としての方が有名なのかもしれない。授業を聞いていれば分かる程度の話だが、「仁和寺にある法師」の舞台は仁和寺ではなく、主役が仁和寺のお坊さんと言うだけに過ぎない。現在の当地に残るのは、国宝の金堂および宇多天皇が出家後に暮らした御室御所付近の仁和寺御殿である。

 まずは御殿に立ち寄る。中に入るには拝観料が必要となる箇所で、それだけに訴求力のある名勝であると言える。風雅な趣のある庭園、格式を感じさせる建物群が建ち並ぶ。日の当たらない場所には雪が融け残る一方、今日の天気は真っ青に晴れ渡った快晴。青と白のコントラストがまぶしいほどだ。

 そして、金堂である。本来は皇居の中に宮殿として建てられていた物だった。寺院建設としてはなるほど、何か異質な印象を与える建物である。もともと屋根に葺かれていたのが檜皮だったところを瓦葺に改めているということだが、それ以外の部分もちょっと華やかな感じがして、あまりお寺っぽくはない。いずれにせよ、建物自体は江戸時代前期のものであるため、思っていたほどに古色蒼然とはしていない。典型的な寺院建築でないところに物足りなさを感じはするが、史学的に見た場合、当時の宮廷建築の特徴を伝える物として重要なのだそうだ。

 午前8時頃から歩き始め、ほぼ半日が経過した。意外と草臥れた京都街中歩きだった。今回は仁和寺訪問で打ち止めとなる。寺の前には京都駅前まで走るJRバスが止まるようだったので、これを待った。わりと近くには金閣寺もあったが、これも今回は見送った。次の京都旅ではどこへ行こうか。






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