春の宮島

 宮島側のフェリー乗り場は、島の北端部の一角にある。厳島の中でも、人が住んでいる地域はフェリー乗り場近辺を中心とする北部に偏っており、中南部には集落と呼べるほどのものはない。特に南端部までは陸路が通じていないと言う話である。何にせよ、観光目的で歩く事があるとすれば、島の北部の主要道沿い数キロメートルになるわけだ。

 島側の乗り場は、心なしか宮島口側のそれよりも立派であるような気がする。建物が大きいためか、それを出たところにある広場が広く整然と造られているためかは何とも言いがたいが、世界遺産にも指定された観光地の玄関口たるにふさわしい。フェリー乗り場を背にすると、厳島神社は右手にある。左側は主に旅館や民宿のある区画らしい。そう言えば高校時代の修学旅行で宮島に来たことがあるのだが、宿泊したホテルは神社とは反対側だった。真正面には、毛利元就と陶晴賢が戦った厳島合戦の事を伝える看板がある。10年ほど前の毛利元就を主人公にした大河ドラマのときに整備されたものだろうか。どうやらその看板のやや右手後方のこんもりした丘に、合戦の舞台の一つとなった宮尾城址があるらしい。

 今日この島へやってきた本来の目的は厳島神社詣でなのだけれど、せっかくだからその城跡というのを見学していこうか。地図を見るといくらか山手にある史跡に見えたので、時間配分のことも考え少しばかり思い切るつもりで道しるべの示す方向に向かったのだけれど、城跡は、通りに面した民家の裏手のちょっとしたがけの上にあった。もっとも、ここには城跡らしいものは何も残されていない。山の尾根の平地の際まで突き出た終端部分が「ここが宮尾城」と主張しているようにしか見えない。城とは言うもののちょっとした砦程度の物しかなかったのだろう。ただ、丘に上がると厳島神社方向の眺めが良い。近くの集落の屋根を見下ろしながら、神社の建物の一部や海の中の大鳥居を展望できる。やや質素に過ぎる感のある城跡を後にし、神社の方を目指す。気が付けば宮島名物の一つである鹿の姿が目に付き始めた。

 フェリー乗り場と厳島神社を結ぶルートは、大まかに言って二通りある。風光明媚な海岸沿いの道と、土産物屋が立ち並ぶ、いわゆる仲見世のような通りだ。二本の道はそれぞれに面した家屋をはさんで並行に伸びているため、所要時間的には大した違いも生じない。行きと帰りで歩くコースを変えて見ると良いだろう。私は、海沿いルートを往路に選んだ。たぶん島の人だと思うのだが、浜には潮干狩りをしている人たちがいる。私も昔はよく潮干狩りに行ったものだが、今となってはあの時の浜はどこも埋め立てられてしまった。宮島は絶海の離れ小島ではなく、むしろ広島などの大都市部に向かい合う場所に位置しているので海の水も抜群に澄んでいるというわけではないが、なるほど、アサリが棲めそうなほどにはきれいである。この道からは対岸に廿日市の街が見えるが、何か随分と遠くに来てしまったような気がする。

 意外に人通りの多い中、ぶらりぶらりと歩きながら神社の入り口に到着。ここまでの道と町並みは小奇麗に整えられている印象だったが、変な俗っぽさがなく好感が持てる。住んでいるところが世界遺産に登録されるからには、街づくり一つにしても史跡としての品格を損なわないための細やかな気配りが要求されるものなのだろう。白川郷の合掌集落などがそうだった。こんなところに宮島の人たちの気遣いのほどがしのばれる。世の中には変わった試験があって、世界遺産検定なるものもあるそうだが、そういう試験を受ければ世界遺産をめぐる諸々が見えてくるのだろうか。件の検定の実際がいかなるものかは、寡聞にして知らない。

 ところで、厳島神社の鳥居は陸の参詣路にも当然ある。こちらは石造りなのだけれど、じゃあ海のものはいったい何のための存在しているのか。今のところ正解と言えるほどの説はないらしい。






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