上州から越後

 入鋏待ちのため昨夜は2時近く、沼津駅を過ぎるまで粘っていた記憶があるのだがいつの間にやら眠っていたらしい。気が付けば夜も白々と明けていて、列車は横浜近くを走っていた。車窓から見える景色は雑然とした都会のそれで、東京に近づいている事が容易に見て取れた。

 5:05東京駅着。早朝だと言うのにちらほらと人出がある。決してムーンライトを降りた者ばかりではない。事前に時刻表で調べたところ、もうあと5分ほどのうちに、上野駅から群馬高崎方面へと向かう列車が出るらしい。東京駅から上野駅までは山手線で二駅三駅ほどの距離にあるようだが、いくらなんでも5分かそこらで東京駅から上野駅まで移動する事はできまい。そうは思いながら、一縷の望みを託して山手線に飛び乗り、上野駅を目指す。山手線の中はいかにも大都会東京を走る電車に相応しい仕様になっており、混雑時は座席が引っ込んでとにかくたくさんの乗客を収容できるようになっているらしい。車内には液晶のモニターが取り付けられていて、何やらCMが流れている。

 こちとらはおのぼりさんである。本来ならものめずらしさ全開でそれらを観察するところなのだが、どうも眠さが先にたつせいか、慣れない環境のいたたまれなさばかりをひしひし感じてしまう。出来るだけ早く、そう、東京人が本格的に活動を開始するよりも早く首都圏を脱出してしまいたい。そういう衝動にかられた。上野駅に到着してみると目的の列車はすでに発った後だったが、それ以外で一番早くに駅を出る列車に逃げるようにして乗りこみ、東京を離れた。

 当初立てた旅行プランでは、東京駅に到着後1時間のインターバルを置いて上野に向かい、そこから高崎線・上越線と乗り継いでいくはずだったが、現実には上野駅を最速で出発する事になった。とは言え、群馬県の水上より先の列車本数が限られいるため、早く出れば早く出ただけ目的地への到着時間が早まると言うものでもなく、東京駅で潰すはずだった一時間の待ち時間をこの先のどこかでもてあますことになるわけである。どこで時間を潰そうか。夢うつつにそんな事を考えていた矢先、ふと、「待ち時間を利用してどこかの城を見ていくことは出来ないか」と閃いた。上州と言えば、箕輪城など有名な城には事欠かない。例えば真田ゆかりの岩櫃城、名胡桃城とか沼田城とかもある。そう思い立ってケータイでネット検索していたら、沼田・名胡桃あたりの城は上越線の駅からかなり近い事が分かった。ビンゴである。その二つのうちでも、沼田城の方が駅からのアクセスがよさそうなので、安全策を取って沼田城を目指すことにした。今日のメインイベントはあくまで坂戸城・与板城だ。沼田城に時間を取られ、あとの二つがなおざりになるのでは本末転倒というものである。

 沼田と言うのは、関東人以外でもそれなりに耳に馴染みのある赤城山北麓の町だ。沼田駅のホームに降り立ってみると、巨大な天狗面を象ったものと思われるオブジェが設置されている。どうやら沼田は天狗の町でもあるらしい。こうして途中下車する事もなく走り抜けていたとしたら、果たしてそんな事に気づいていたかどうか。

 とは言え、沼田城見学に費やせる時間は30分ほどである。天狗の事など見ている暇はない。その30分で城まで行って、見るものを見て、さらに駅まで戻ってこなければならない。ここに来るまでの車中で沼田市街の地図は十分に検めており、駅から城までの距離は30分で往復可能な程度だと踏んでいたのだが、駅を出てみると城(沼田公園)があると思われる位置との高低差はかなりのものがある。果たして、駅からも見える断崖上の茂みが沼田公園らしかった。都合の悪い事に、駅から城まで最短距離を一直線に結ぶ道はないらしい。二点間の位置関係を見れば仕方のない話ではあるのだが、かなり早足で歩いて、沼田公園までは15分弱を要した。計算上、このまま回れ右して駅に向かわなければ、列車の時刻には間に合わない。復路は下りなので往路よりは所要時間が短くなると考えても、おちおち城跡の見学をしている時間もないことになる。もっとも、幸か不幸か沼田公園=沼田城跡には城跡らしさがほとんどなく、儀礼的に園内を駆け抜けただけで事足りてしまった。早足で駅に帰ると、どうにか電車には間に合った。

 ここからひとまず水上駅まで進む。水上温泉の玄関口となる駅だ。お城見学がああいった体たらくになると分かっていたら、乗り継ぎ駅となる水上の駅周辺を散策した方が面白かったかもしれないと、少し後悔する。さすがに湯治としゃれ込むだけの時間はないのだが、温泉場の雰囲気を味わうくらいならば出来ただろう。駅近くの土産屋を冷やかすとか、そういった楽しみ方もあったかもしれない。

 水上より先は、いよいよ越後だ。長いトンネルが連続し、その先には谷川岳や湯沢などのリゾート地が広がる。中には以前に北陸線で遭遇して以来のトンネル駅もあった。地下鉄でもないのにトンネル内に駅があるのだ。土地勘がないので深く考えた事もなかったが、越後と上野を隔てる山塊というのは、もしかすると案外に険しいものなのかもしれない。そういう意識で車内を見渡してみると、登山客と思しき装備の乗客の姿も目立つ。川端康成の言う「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は、このあたりの話だったのであろう。もっとも、夏真っ盛りの今、長いトンネルの先もその前と変わらぬ夏の日であった。






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