伊達な国へ

 13:33、山形駅を発って新庄駅に向かう。今日の宿泊予定地は仙台で、山形から仙台に向かう場合は仙山線という直通路線が存在するのだが、仙台よりも北の大崎市にある岩出山城を一日の締めくくりに見ていく都合上陸羽東線に入る必要があり、そのために新庄を経由しなければならない。もっとも、乗換えするなら新庄駅よりも一つ山形側の南新庄駅でも行けそうな気がするが。

 乗り込んだ列車は、造作そのものは新しいもののこじんまりとしており、やはりローカル線の電車という雰囲気が漂っていた。たぶん電車だったと思う。何だかんだで日本各地の田舎を鉄道で旅してみた経験上、ディーゼル車で無かっただけでも立派だという気もする。そういえば、東北地方は列車本数こそ少ないものの、鉄道網は予想外に発達しており、山陰地方や九州・四国とはまた鉄道旅の趣が違う。

 日曜の昼下がりということもあり、車内には中学生とも高校生とも判断がつきかねる子供たちが多数乗り込んできた。地方に行くと高校生が幼く見えるというのはよくある話だ。彼らの行動は外見同様に幼く、車内での野放図な振る舞いは都会の若者の傍若無人な振る舞いと同程度には迷惑であった。大声で騒ぐ彼らの話し方にはしかし、ドラマなどの東北出身者が見せる特有の訛りがさほど見られなかった。宮城県人もそれほど訛っていなかったし、不思議なことに福島人のほうが訛っているほどだった。以前に山形県の人と仕事をしたときには、やはり東北人らしい訛りがあるのを感じたものだったが、どうしたわけか。

 山形市から北に向かう奥羽本線の線路沿いには、あまり大きな都市は発達していない。東と西を山地によって隔てられた盆地のような平地を、電車は北上していく。閉塞感はさほどに感じない。新幹線に対応するためか、やたらまっすぐに伸びるレールの両脇には水田が目立つ。昔ながらの農村という雰囲気ではないので、多少色をつけた評価を下すなら「広々とした田園都市」といったところか。おそらくはこういう立地だからこそまっすぐな線路が引けたのだろう。山形は国内有数の農業県としても知られていて、特にさくらんぼが有名だ。進路上には「さくらんぼ東根」という名前の珍駅名も存在していた。

 新庄までは1時間ちょっとの距離である。乗り換えは1時間〜2時間程度毎にあったほうが良いかもしれない。あまり長い間同じ列車に乗りっぱなしだと、やはり気分がだれてくる。ことに遅い列車は良くないのだが、山形からこっち乗ってきたのは、あいにくと歩みの遅い本当の鈍行列車だった。そろそろ眠気を催してきたところで乗換え。新庄駅は綺麗な駅なのだけれど、もう一つインパクトにかける弱みのある駅だった。そもそも新庄という街自体に何があるのかがよく分からない。最初、将棋の駒をイメージしていたのだが、よく考えてみればあれは天童だ。新庄と言われても野球選手しか思い浮かばない。手持ちのマックスマップルは、各町毎二つ三つの名物が記載されているのだけれど、それによると新庄の名物は「銘菓くじら餅」「もつラーメン」「新庄亀綾織」となっている。どれも知らないなあ。

 そこから、先にも少し触れたとおりいったん南下した後に東進、陸羽東線に入る。途中にあるのは相変わらず田舎町ばかりだ。途中に最上町というのがあったが、最上という響きはいかにも山形らしい。最上川、戦国大名最上氏、そして最上町。こういうときに角川の地名辞典を所蔵していると便利だと思うのだが、やはりお高い本なので個人には易々と手が出せる代物ではない。

 そんな最上町を過ぎると、そこからは宮城県である。最初にあるのがこけしで有名な温泉・鳴子温泉だ。少し北には鬼首温泉もあり、一帯は鄙びた温泉地となっているのだろう。鳴子温泉駅から見える風景は風情があり、やっぱりこけしも目につく。時間があったらゆっくりしていきたいところだが、今回は通り過ぎるだけ。次回があることを期待しよう。

 鳴子温泉はもともと玉造郡鳴子町だったが、2006年3月に合併により大崎市となった。この時の合併相手に、岩出山城のある同郡岩出山町もあった。鳴子温泉駅からさらに30分ほど進み、有備館の駅に着いたところで下車。岩出山城は、駅で言うと岩出山駅と有備館駅の間にある。有備館駅が新庄側、岩出山駅が大崎側(仙台側)である。駅名にもなっている有備館は駅の目と鼻の先の距離のところにある。どういう建物なのかはあまり知らなかったのだが、日本最古の学問所なのだそうだ。もちろん、伊達氏にゆかりのある建物で、実質的に岩出山城の一部だったようだ。どうやら旧岩出山町では最大の観光資源らしい。岩出山城は有備館の裏山にあるが、観光地としてはさほどのものでもなさそうな扱いである。かつての大河ドラマのときは大層にぎわったのかもしれないが。

 岩出山城跡は、現在では公園となっている。一応は郭跡と思しき何箇所かの平地が広場となっており、それぞれを階段で結ぶような構成になっているので、城跡らしさはとどめている。もともと残されていたものか、新たに組上げたものなのかはよくわからないが、一応は石垣もある。遺構を無視して滅茶苦茶な造成をしているわけではなさそうだ。最高所に当たる本丸跡には、戦後の一時期仙台城址に立っていたという平服姿の伊達政宗像があり、武装した姿ではない事から平和像と呼ばれているのだそうだ。それ以外はというと、取り立てて見るほどのものも無い。周辺よりはいくらか高いので展望はきくが、所詮は丘程度の山であるから多寡は知れている。

 意外と掘り出し物だったのが、情緒ある岩出山の町並みである。「伊達な小京都 岩出山」「特産と史跡観光の町」を自称しているようだが、確かにそういう雰囲気はある。造り酒屋などもあり、歴史は古そうだ。岩出山の主力観光地は、有備館や町並みそのものなのだろう。岩出山城跡は観光スポットというより、住人の憩う場所なのかもしれない。その伊達な小京都をぼんやりと歩きながら岩出山の駅に到着。駅舎は有備館の駅に比べると小さく飾りっけもないが、完全な無人駅でもないらしい。まあ18きっぷ旅なら有人駅でも無人駅でもさほどの違いは無い。のどかな駅のようだが、ここのところ器物損壊事件が続いているらしく、情報を募る張り紙が張り出されていたのが妙に印象に残っている。

 岩出山から仙台までは、さらに電車で2時間の移動を要する。約一時間をかけて小牛田の駅まで移動。そこからさらに1時間で仙台へ。小牛田などと読み方すらも分からないような地名だ。やはり東北とのなじみは薄い。土地勘が無いついでといってはおかしいか、まったくうかつだったのだが、仙台の少し北には、日本三景の一つである松島があったのだった。そろそろ夜の帳が降りようとする時間帯、窓から見える景色がすっかり暗くなった頃に旅情を誘う海岸線を目の当たりにしてその情報を思い出した。多賀城に行こうというようなことは構想もしたのだけれど、松島はまったく失念していた。

 19:33、仙台入り。さすがに仙台駅は大きな駅だ。人の流れも激しい。改札を出てみるとよりたくさんの人が構内を行きかっている。構内入り口あたりには政宗の石膏像のようなものがある。そこここで見かけるみやげ物の広告は、牛タン、笹かまぼこに萩の月。ご当地キティも伊達政宗で、これぞ仙台、This is Sendaiである。さらには、ちょうど音に聞く仙台七夕祭りの時期が差し迫っていたので、天井からはブルーやピンクのビラビラがぶら下げられていた。単に上からぶら下がっているだけのものなのだが、ああいう状態でも吹流しというのだろうか。ふとそんな事を考える。そのひらひらした物体は大人の顔の高さにまで垂れ下がっており、強烈な自己主張をしている。

 駅を出ると、ここ数日来忘れていたような気がする都会の風景が広がっていた。冷静になって考えてみれば数日来も何も、一応都会の名古屋を出たのは一昨日の夜の話なのだが、随分長い間旅を続けてきたような心持になっていたものだ。だいたい、昨日の朝には大都会東京を前にいたたまれなくなっていたのに、仙台の街に降り立ってどこか安心しているのだから世話は無い。駅周辺では素性のよく分からんおっさんが大声で意味不明の劇団四季批判を繰り返していたが、そうした殺伐すらも好もしく見えてしまう。

 仙台は新潟と違ってまともなサウナがあるらしい。駅前にあった吉野家で、今度は豚丼を食べた後、仙台の繁華街の一角にある一番サウナにご宿泊。サービスや設備の質に関して特に目を見張るほどのものは無かったが、清潔感があってなかなか印象が良かった。






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