楽しまずんばこれ如何

 足掛け4日にわたる今回の旅もいよいよ最終日を迎えた。今日はもちろん名古屋まで戻るのだけれど、さすがに仙台から名古屋まで鈍行で帰るのは難しい。シミュレーションはしていないが、始発で発って終電近くに名古屋へたどり着くことになるのではないか。場合によっては1日の移動限界を超えるかもしれない。

 そこで、今日1日は18きっぷを使わずに、新幹線移動を軸にして動く。仙台を出た後、白石蔵王・福島と過ぎて郡山駅で途中下車。そこから磐越西線で会津若松まで足を伸ばし、2時間ほど観光したあと再び郡山まで戻って、後は一気に名古屋まで新幹線で帰る計画となっている。乗車券・新幹線特急券は昨夜のうちに仙台駅で押さえておいた。総額で2万円に届かないのだから、思っていたよりずっと安い。私はほとんど新幹線に乗らないので、その料金設定がいかほどのものなのか知らないのだ。ちなみに、切符の買い方としては仙台から名古屋まで通しで乗車券と新幹線特急券を買い、郡山で途中下車して郡山ー会津若松間の乗車券を別途購入する形となった。「会津若松に立ち寄りながら名古屋まで帰りたい」という厄介な要望に対し、もっとも運賃が安くなる買い方を提案してくれた仙台駅みどりの窓口販売員の方の親切には頭が下がる思いだ。どうもありがとう。

 直線距離でも500kmはあろうかという仙台-名古屋間を、新幹線は4時間ほどで移動してしまう。恐るべき速さである。4時間といったら我が愛車「白っこ」で自宅から一宮市まで往復できるかどうかという時間なのだが、それと同じだけの時間で新幹線は仙台から名古屋まで行ってしまうのだ。

 とは言え、今日は会津若松にも寄り道をしていくので、仙台を出てから名古屋駅にたどり着くまで8時間はかかる計算になる。仙台駅発はそれなりに早い時間でなければならない。しかも、その早い仙台駅出発の前に仙台城を見学しに行くスケジューリングをしたものだから、行動開始はいつものように早朝の事となる。本来なら5時30分頃には一番町サウナを出るのが好ましかったのだが、24時間サウナのレストルームでは目覚まし時計や携帯アラームの類を使う事ができず、ちょっと寝過ごしてしまった。6時ぐらいになってようやく、今日の行動を開始する。

 仙台の目玉はあくまで仙台城なのだが、その前に伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿にも立ち寄りたい。そういう目論見のもと、さとう宗幸が「青葉城恋唄」の中で歌った瀬音ゆかしく、葉ずれさやけく、吹く風やさしい杜の都の朝をてくてくと歩く。あの歌で歌われた仙台の情景は「広瀬川」、「七夕祭り」、「青葉通り」の三つだが、どういうわけか行きずりの旅行者である私は期せずしてその三つを自分の目で見ることが出来た。七夕祭りは準備段階の七夕飾りだけだが、青葉通りを歩いて広瀬川の南岸にある仙台城を目指す。仙台の街を歩いてみて実感として分かったのだが、仙台城は地元では主に青葉城と呼ばれているようだ。

 ところが、さとうが詩情豊かに歌った広瀬川の流れが、今回は私の行く手をさえぎるものになった。仙台市中心部から青葉城・瑞鳳殿方面に向かうには広瀬川を渡らなければならないのだが、橋が見当たらないのである。うっかり路地裏のようなところに入り込んでしまったのが運の尽き、今自分がどこにいるのかよく分からない状態のまま川に突き当たってしまった。川伝いに歩いていけばいつかは橋に出るのが道理で、道が分からないなりに歩いていた私にもこの道理が当てはまったのだが、瑞鳳殿の場所よりは大分川上まで移動してしまい、かなりのタイムロスになった。時間的余裕と相談するに、ここは狙いを青葉城一本に絞らなければならない。

 私が迷い出たのは、どうやら青葉山の麓にある大橋らしい。国際センターなどと、どこかで聞いたことのあるような建物の他、博物館などがある。さらに東北大学もこの近くらしく、旧仙台城周辺は現在では仙台の文教地区となっているようだ。ともあれ、ここまで来たら城跡までは一本道である。道すがらにある案内に従い、河岸の高台にある本丸跡を目指す。途中には政宗の股肱の臣である片倉景綱の屋敷跡があり、いよいよ独眼竜の本拠地にやって来たムードが高まってくる。

 それにしても、本丸までの上り坂は予想外に長い。「山城だ、山城だ」と覚悟してかかった岩出山城は大した山ではなかったが、仙台城がこれだけの高台にあるものだとは考えもしなかった。おそらくは旧城内を貫いていると思われるこの道が近隣住民の抜け道となっているらしく、平日の朝7時過ぎだというのにかなりの数の車が道を行きかっている。何か想像していたのとイメージが違うような気もしてきたが、道沿いには大手門の跡や石垣、おそらくは再建されたものであろう櫓などがあり、六十余万石の太守の居城たるに相応しい規模を持った城が存在していた様子は見て取れる。

 片倉邸跡から15分ほどかけて本丸跡に到着。仙台城にはもともと天守閣がなかったため、天守台跡といったようなものは残されていない。ただし、帝を迎えるための御殿建築が存在していたという話はあり、あるいはそういう大きな建物も実在したのかと思えるような広い空間がある。この一角に、あの有名な伊達政宗の騎馬像がある。仙台の両巨頭といえば、伊達政宗と荒木飛呂彦である。その一方の名士・政宗の像は今も仙台の街を見守っており、この風景を見ていると仙台にやって来たことをしみじみ実感した。城から駅までも歩いていこうかと思ったが、時間がなくなってきているのでバスにしようか。さすが仙台は、この時間にもバスはかなりの本数が走っているようである。

 駅への戻りで面白い看板を見つけた。「メガネと髪は伊達じゃないのよ」。仙台ジョークなのであろう。






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