オタクの街

 関東地方は、JR線だけでもかなりの路線が存在している。もちろん利用者数も多いので、列車の本数だって多い。辺境の片田舎を旅するのと違って、列車の乗り継ぎも楽だろうし、移動も速やかに行えるだろう。そう考えて、当初は佐倉の後に水戸へ行くことも考えていたのだが、いかに関東エリアとは言え、単純に移動距離が長くなるため、この計画は無理があったらしい。調べた限り、乗り継ぎ待ちで大幅なタイムロスが生じるわけではなさそうのだが、14時に佐倉城を片付けた後で水戸を目指そうとすると、日のあるうちの到着は難しいことが分かった。こうなってしまうと、城の取材は難しいし、第一この旅の主要な目的の一つとして掲げている日光東照宮訪問にも障りが出てくる。日光は、どの道初日の日程には乗せられそうもなかったので、二日目に持っていくつもりではいたのだけれど、茨城から栃木までの移動と言うのも、地方出身者が漠然と思い描くよりは、はるかに時間がかかるらしく、水戸城行きは2日目の日程に組み込むことにした。

 とどのつまりは、佐倉を出た後は初日の宿となる宇都宮を目指すことになった。18きっぷで旅行するような男が、日光の観光ホテルに泊まる事などできよう筈もない。予算の点からも、そして観光ホテルの類にシングル客が泊まるのは難しいと言う慣習の点からも、である。

 せいぜい、寄り道もせずに移動すると宇都宮着が宵の口にも少々早い時間帯になってしまうため、どこかで多少の時間つぶしをしていくかと言う程度の旅程しか組めない。普通に考えれば東京観光なのだが、時間調整が主眼となるこの東京観光、これと言う案も思い浮かばなかった。ただ、機械に乗り継ぎ検索を任せると、総武本線を使用して秋葉原まで戻り、秋葉原で京浜東北線に乗り換えて北を目指すルートが表示されるのが、目に留まった。今日、オタクの街として知られるに至った、秋葉原に立ち寄っていこうか。そう思った。

 秋葉原と言う街には、今を去ることかれこれ20年近く前、中学校の修学旅行で降り立ったことがある。当時はまだオタクの聖地ではなく、純粋に電気街として知られていたので、ウォークマンだのラジオだの、修学旅行生の小遣いでも買える安い携帯オーディオプレーヤーを探そうと言う魂胆だったのだが、今にして思えば、いくら電気街だからと言って、文字通りに、「そうは問屋が卸さなかった」だろう。浅はかな考えだった。ただ友人はこの時、スーパーファミコン用のマルチタップを買っていた。現在の美少女商売なんかと超メジャー家庭用ゲーム機の周辺機器とでは少しく隔たりはあるのかもしれないが、オタク文化の萌芽と言うか、秋葉原が現在のように変貌を遂げる下地は、当時からすでにあったのだろう。秋葉原のオタクの街化が急速に進むのは、Windows95の発売が呼び水となり、PCが一般家庭にも急速に普及し始めた時期のことだったと思う。

 さて、修学旅行のときの思い出であるが、秋葉原駅と言えば、駅の構造が複雑で、とにかく外に出るのさえ苦労した記憶がある。今回も、そのときの轍を踏むことにはならないだろうなと、身構えつつこのターミナル駅に降り立ったものの、さすがに20年の間に私も成長したか、迷うと言うほど迷うこともなく、駅を出ることが出来た。もっとも、記憶にある秋葉原駅は、今まさに目にしている駅のように綺麗なものではなく、あるいは建替えの時に構造が簡素化されたのかもしれない。まあ、たまに上京してくるだけの地方の人間には、ほとんど関係のない話だ。

 問題は、私が、いわゆるオタクの街が、駅から見てどのあたりに展開されているかをまるで知らなかったことだ。とりあえず、その辺の通りを流していれば、そういう店に入らずともメイドさんがいたり、オタ芸なるものを披露してくれるオタクの人たちがいたり、そういうカオスな風景が広がっているのではないかと思っていたのだけれど、ヨドバシカメラ側に出ては見たものの、思ったよりもずっと大人しく、普通の街だ。客引きのメイドさんもいるにはいるが、そのぐらいなら東京くんだりまで来なくたって、大須でも見ることが出来る。駅周辺をうろうろしては見たが、想像してたよりもそれっぽい店の広がっている範囲も狭そうだ。

 多分に時間調整的な意味合いを込めて秋葉原に降り立っているため、さほど深追いもせず、この街を後にした。もっとも、後で地図を見るまで全く気づかなかったのだけれど、秋葉原と、神田明神のある神田は、実は隣り合っているのだった。秋葉原駅から平将門公を祀る神田明神を目指す場合、必然的に秋葉原のディープそうなところを通ることになっていたため、明神詣でをしておけば、色々違ったものが見えたのかもしれないと、少し残念に思った。







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