■DATA
 経路
  名古屋-亀岡 → 亀岡-二条 → 二条-長岡京 → 京都-名古屋
 通常時運賃総額:6060円


 そうだ、京都行こう

 京都は「鳴くようぐいす」以来1000年余りもこの国の首都であり続けた街だ。そのため、歴史を紐解くと自然に京の町にたどり着く。当然、私が愛してやまない戦国時代にしても例外ではない。その口火を切った応仁の乱は京の都を舞台にした物だし、中世戦国の終わりと言われる室町幕府十五代将軍・足利義昭の追放も、そしてそれを行った織田信長が最期を迎えた本能寺の変も、京都の街で勃発した事件だ。「京都」と言うと雅やかなイメージがあるけれど、こと戦国時代に関してはその限りではない。もちろん、京都府内にも有名無名のたくさんのお城がある。18きっぷの使途を考えるに、最初に思い当たったのが京都城攻め旅行だったのは、必然的な成り行きと言えた。「そうだ、京都行こう」てなもんである。

 名古屋から京都へ電車で移動する場合は、もちろん新幹線が便利である。しかし、在来線での移動もさほど不便な物ではない。2時間強ほど見ておけば十分だ。何しろ、天下の東海道線である。多少なりとも線が細くなるのは大垣-米原区間ぐらいなもので、他はスイスイと流れるのだ。そのため、名古屋から米原まで乗り換えなしで行ける電車を選べば、楽な道中である。後段で触れるが、米原駅からは姫路あたりまで直通の快速列車も出ており、関西方面への接続に関しては問題ない。

 18きっぷの使用が解禁となって1週間ほどが経った3月8日の月曜日。名古屋駅発9:25の特別快速米原行きに乗り込んだ。何が特別なのかは未だによくわからない。快速だ、新快速だ、果ては特別快速だと色々バリエーションを造るのも良いが、もう少し名前をスマートにできないものだろうか。

 以前には、名古屋発で富山もしくは和倉温泉までを結ぶ特急しらさぎを盛んに利用していた時期がある。大垣、垂井、関ヶ原あたりまではそれなりに民家も多く、その先は基本的に田園地帯。右手に見える伊吹山は深田久弥が百名山の一つに選んだだけのことはあり、なるほど、このあたりの山では抜群の存在感を誇っている。まず高さで他の山々に差をつけている。頭一つ分どころではない。半馬身ほど抜けている。ぽこっとした感じの独特の山容も良く目立つが、春先のこの時期は、場違いともいえる真っ白な冠雪が印象に残る。冬場、日本海を渡って来る重く湿ったシベリア気団は立山や白山を擁する中部背稜山脈を越えられれず、北陸地方に大雪を降らせる。しかしその一部は、滋賀県北部、福井県との県境に位置する木の芽峠を越えてくる。この峠は周囲に比べるとずいぶん低いのだ。そうやって滋賀県内に入り込んできた鈍色の雪雲は、やはり滋賀県内に積雪をもたらし、最後の力で伊吹山に雪を降らせる。我が濃尾平野に入り込むまで余力を残している雪雲はほとんどなく、冬場の東海地方は雲ひとつ無い晴天が続くのである。冬の晴れた日、名古屋市内のちょっとした高所からは伊吹山方面の雪山が見えることがあるが、流れ流れてきた雪雲の足取りを思いを馳せて、無性に旅情を誘われることがある。

 その伊吹山の麓を行き過ぎて少し行くと、米原である。米原では、最近になって市制が施行された。つまりそれ以前は長らく「坂田郡米原町」だったのだが、にもかかわらず、町内にあったJR米原駅には新幹線が止まっていた。東海道(実際はココ、中山道なのだけれど)線と北陸線が接続する交通の要所だったためだ。ちなみに、名神と北陸道という二つの高速道路のJCTも米原にある。さらに余談だが、以前は駅名は「まいばら」、町名その他は「まいはら」だったのが、米原市に移行するにあたって「まいばら」に統一されたのだそうな。

 米原駅から始まる琵琶湖線は、近江八幡あたりまでは水田の中を走っていくのだけれど、そこから先は次第に都市化が進んで行く。その都市化が一旦極にまで達するのが、京都市近郊というわけだ。なお、京都駅より一つ東京側の山科駅が、名古屋発18きっぷの旅の、西の損益分岐駅となるようである(片道の場合)。







  TOP 京都お城めぐり








100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!