みちのくのさらに奥

 秋田最後の訪問地となったのが、能代市の山奥にある檜山城である。東北の山城としてはかなりいいものを持っているらしいこの城だが、最寄り駅から6kmほどの距離があり、当然周辺地との比高差もあって歩いて訪ねるには厳しく、かと言って路線バスも極めて本数が少ない。そこで、計画段階から、東能代駅前でタクシーを捕まえて、タクシーで城と駅を往復する方針で固まっていた。唯一気がかりだったのが、東能代駅前にタクシーがいてくれるかと言う点だった。五能線と奥羽本線が乗り入れている、いわばターミナル駅ではあるので、まず大丈夫だろうとは思いながら、ネット上で閲覧可能な駅舎写真が、平屋の小さなものだったため、一抹の不安はあった。

 果たして、駅前にはタクシーが数台停車していた。一応、路線バスの有無も確認しようとしたが、こちらはどうにも望み薄だったので、最終的には当初の計画通り、タクシー利用の、普段では考えられないお大尽攻城をした。東北に金を落としていこうという腹もあるにはあったのだが、そこまで気を使わなければならないほど深刻な震災ダメージを、秋田が蒙ったかどうかは定かではない。

 何にせよ、タクシー攻城の宿命で、運転手氏を半ばまで山城見学に付き合わせる形になってしまったのに恐縮し、さほど落ち着いて見学は出来なかった。ただ、檜山城自体は、削平地形が残っているのはもちろんのこと、虎口や土塁、堀切なども認められ、山城としての状態はかなり良い。

 なお、城域に隣接して、北限の茶畑と言うのがある。また、檜山は納豆でも有名らしく、道中でそういった看板も見かけたし、駅の売店でもチラッと見かけたので、これもお土産に買っていこうかと思ったのだが、荷物になることを危ぶんだ挙句、ついに購入の機会を逸してしまった。

 檜山城攻略完了後は、明日の主戦場となる青森県へ移動。宿は美人過ぎる市議でおなじみの八戸市に求める。秋田県全般がそうだが、車窓から沿線の風景を望めば、やはり水田地帯のそれが主になる。典型的な日本の農村風景であり、どこか心安くいられる。そう言えば、東能代のタクシードライバー氏も、都市部の同職種に比べればこすっからくもなく、気候風土のみならず、人情も良い。秋田の懐の深さに感じ入りながら、大館、弘前、新青森と進み、新青森から八戸までは新幹線を利用する。青森から先は、18きっぷで移動できないためだ。

 この春鳴り物入りで全線開業した九州新幹線に比べ、東北新幹線は色々地味である。終着駅であるはずの新青森駅も、さほど賑わってはいないし、列車本数の少なさゆえに、その輸送能力も低い。奇しくも、青森もねぶた祭りの時期だったのだけれど(そしてそのため宿を八戸に求めることになったのだけれど)、その割には静かな駅構内である。

 そしてたどり着いた八戸駅は、新青森駅以上に閑散とした駅だった。構内はもちろん、駅前にも活気がない。どうやら八戸市の中心は後発の新幹線駅前ではなく、本八戸駅の周辺らしい。「東北に金を落とす」と言うコンセプトの元、今回は各地の郷土料理を味わおうと言う方針も持っており、八戸では煎餅汁というのをお目当てにしていたのだが、八戸駅周辺にそういったものが食べられる店が見当たらず、結局駅前にあったローソンでコンビに弁当を買い込むことになった。仕事でよく出張をしていた頃を思い出し、どうにもわびしい。そして、とにもかくにも夕食を確保したら、駅前の東横インへ。言ってしまえば、ローソンの隣の隣である。

 かくのごとく、質素な八戸駅前なのだが、一通りの施設がコンパクトにまとまっているとも言える。何が都合が良いと言って、ホテルの隣にいつも使っているトヨタレンタの系列店がある。この夜の段階では、すでに営業時間が終わってしまっており、事務所もドアを閉ざしてしまっていたが、明日はここを利用することになるのだなと思いながら、その前を通過ぎた。

 系列だから当然かもしれないが、ホテルの室内の設備は、鹿児島で利用した同系列店と大差がない。大差がないと言えば、テレビ番組の内容も、名古屋あたりと大差がなく、これと言って青森らしいところがない。少なくとも、民放の数は少ないのだろうと思っていたが、NHK+民放4社が視聴可能である。もっとも、ローカル枠の天気予報などをよくよく注意してみていると、青森の話題ではなく隣県岩手のトピックを扱っていたりする。ケーブルテレビか何かを利用して、青森・岩手の放送局を統合し、都市部並みの「多チャンネル」を実現していたものなのかもしれない。






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