愛すべき城下

 明くる最終日。本来の18きっぷ旅らしく、比較的早出の一日が始まる。とりあえず18きっぷを使って在来線に乗り、一つ目的を片付けた後は、列車本数が少ない郡山‐那須塩原間を新幹線で移動し、那須塩原から東京までを在来線で移動した後は、再び東京‐名古屋間について新幹線を利用すると言う、やや変則的な行動予定である。早出ではあるのだが、一応ホテルでの無料朝食のサービス開始時間は過ぎていたため、さもしくも朝飯にありつけたのは良かった。

 ともあれ7時過ぎに仙台駅を出る郡山行きの東北本線に乗車。今日唯一目指す先は、福島県の三春城だ。昨夜は早めに寝たので、早起きになったとは言え睡眠時間は十分、車中でさほど眠気を催すこともなかったのだけれど、仙台からの車中をずっと起きて過ごしていたた。新幹線で、夜に通り抜けたため、昨夜は沿線の様子などほとんど見えなかったのだが、通勤時間帯の在来線の窓から風景を眺める限り、東北本線沿線には、津波被害を受けた地域ほど無残な震災のダメージを見て取ることは出来なかった。ただ、瓦屋根の家が、屋根の上にブルーシートをかけているのが多く目に付いた。瓦はやはり、地震には弱いということか。

 それにしても、仙台から福島って、こんなに遠かっただろうか。前回の東北旅行の記憶を呼び起こそうとするのだが、どうも上手くいかない。

 三春城は、戦国時代にこの界隈を支配していた豪族・田村氏の城だ。一説には、かの征夷大将軍・坂上田村麻呂の子孫とも言われる田村氏だが、これには疑義も多い。史実としての確実性においても、一般的知名度の高さにおいても、伊達政宗の正室・愛姫の実家とした方が通りが良いかも知れない。

 東北地方を旅したのはこれまでに二度。そのいずれの時にも三春城攻略を企てはしたのだが、いずれも日程の都合で割愛。今回ついに攻城計画を実行に移したものだ。

 郡山駅から磐越東線に乗り換えて二駅。三春の町は、三春城の城下町としても知られる、味わい深い田舎町だった。その一画の城山公園が、三春城跡だ。周辺案内図を見て、東館跡というのに興味を引かれ、そちらを通るルートで攻城したのだが、これが搦め手に当たったらしく、少々難渋する羽目になった。一応道らしいものがあったのでそれを辿っていったのだが、しまいには茨の園みたいな状態になって終わりだった。今回、藪こぎなどはしないつもりだったため、ハーフパンツと言ういでたちで棘のある雑草の草むらに突っ込んでしまったが、そのせいで脛といわず腿といわず、細かい切り傷を作ってしまった。物によっては血がにじむまでになっているものもある。ふと、「大西洋血に染めて」などと、しょうもないフレーズが連想されると共に、攻城を諦めかけたが、小学校に隣接する一般の(?)散策路側に回り込んでみれば、ごく問題なく攻略できる小規模山城だった。ただし、小さいながらも曲輪の跡やら門の跡やらもあり、単に「伊達政宗にゆかりのある城だから」程度で訪ねてみたので、思いがけない拾い物となった。

 デリケートな問題ではあるが、三春の町は福島第一原発からほぼ真西に50km弱ほどのところにある。風向きの関係もあるため、50kmというある種衝撃的な数字ほど深刻な脅威は現実のものとなっていないが、そうは言ってもこの春以降、地元の人たちには苦労の種が絶えない事と思う。震災の諸々から、精神的にも物理的にも距離感のある名古屋に暮らしながら、軽々しく応援などと口にできるものではないが、縁あって訪ねたこの愛すべき田舎町のことを末永く記憶にとどめておきたくなり、土地の郷土玩具である三春駒を、自分への土産として買って帰った。







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