さようなら余部鉄橋

 それなりにタイトなスケジュールだった初日とは違い、二日目の予定はかなり余裕を持ったものとなるはずだった。何しろ、立ち寄り予定地が京都市の山奥にある周山城址しかない。あまり知名度のない城だが、平成の大合併でとんでもなく北に延びた京都市の、そのとんでもなく北に延びた右京区にある山城のことだ。明智光秀にゆかりの城でもあり、安土桃山時代の山城の遺構をよく残す史跡として、近年城郭マニアからの熱い視線を集めている。

 一応は今日一日かけて名古屋にまで帰らなければならないのだが、城一つ寄って帰る程度の時間的余裕はあるだろう。そんな事を考えながらも、鳥取駅を始発で発つ。以前山陰方面への18きっぷ旅行を目論んだ時に、京都からその名も山陰本線で移動しようとしたものの、京都府北部地域と鳥取以西の接続が極端に悪くて計画を断念した事があるのだが、朝の早い段階であれば比較的スムーズな乗換えを経て京都府内にまで入れる事が分かったのだ。そのため、朝5時台という呆れるほどの早出をする羽目になった。前夜、目覚ましをセットしながらももしかしたら起きられないのではないかと心配になったが、どうにか起き出し、暗いうちに鳥取駅へとたどり着き、東へと向う始発列車に乗り込むことが出来た。

 この先列車は、兵庫県の浜坂駅を目指す。近年わりとあちこちへ旅行するようになったし、それでなくても国内地理にはそこそこ強いと言う自負があったのだが、浜坂と言う地名は聞いたことがなかった。まあ米坂線とか姫新線とか、路線名になっている地名すら知らない事もしばしばあるのだから、私の知識の範囲などたかが知れていると言うものか。浜坂は鳥取県東部にある町で、兵庫鳥取間の鈍行鉄道交通はこの駅で半ば断絶している。ともあれ、浜坂で一旦乗り換えると次は豊岡駅まで進む。そこから先は、福知山だの園部だのを経由して京都駅まで移動する事になる。しめて6時間強の道のりである。出発が早いから昼前に京都につくこともできるが、普通に考えればとんでもなく遠い距離のようにも見える。一応特急は走っている区間のような気もするが、それにしたって数時間の距離だろう。

 まだ暗い中、列車は鳥取駅を出発した。起き抜けの時は眠かったが、駅まで少し歩いたのと缶コーヒーを一杯飲んだのとで幾分か目も覚めてきた。携行してきたロードマップで今後の移動経路を眺め、あれやこれやの妄想を繰り広げる。山陰のこのあたりはほとんど土地勘のない地域なのだが、浜坂の先の兵庫県美方郡香美町には、世に知られた余部鉄橋があり、京都を目指す以上はそこを渡ることになる。民家の頭上数十メートルのところに鉄橋が架かり、そこを列車が走り抜けていく光景が写真付きで紹介されているのを見かけることはしばしばある。ある程度の年齢以上になると、昭和61年(1986)に回想列車が突風にあおられてこの橋から転落した事故を覚えている人も多いだろう。程なくコンクリート製の橋への架け替え工事が始まると言う事で、このタイミングに橋を渡ることになったのも何かの縁か。不思議と感傷的な気分になるも、いざ橋を渡ってみると妙な感じである。この橋が絵になるのは基本的に橋梁の下から仰ぎ見るような構図の時であって、橋脚上を走り抜ける限りでは、展望は良いがそれだけと言う気もする。それにしても高欄が存在しないのはやはりどこか心もとない。

 何だかんだと言いながらそれなりに余部鉄橋を堪能した後も、この路線沿いには見所がある。志賀直哉の小説「城崎にて」で知られる温泉地・城崎温泉だ。山陰本線には城崎温泉への玄関口となるその名も城崎駅があり、この先豊岡までは乗換えの関係で1本遅い列車に乗り換えても京都への到着時間は変わらない事が分かっていた。どうせ乗り換えの時間を待つならば、豊岡駅よりも城崎駅の方が色々と都合が良さそうではないか。城崎ならば、駅界隈をそぞろ歩いてみるのも味わい深そうだ。早朝時間帯だと言うのが気がかりではあるが、最近の流行、足湯の類ぐらいあるかもしれない。

 などと妄想を膨らませていたが、妄想はいつの間にやら夢想になっていたらしく、ふと正気に返ると豊岡駅に着いていた。いつの間にやら本当に眠ってしまっていたらしい。






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