旅の終わり、旅の先触れ

 天神大牟田線で西鉄久留米駅まで移動する。全く気づいていなかったのだが、柳川と久留米はもともと隣り合っており、電車での移動はごく短時間で済んでしまった。問題は、西鉄久留米駅から久留米城までの距離がまた少しあるというところだ。歩けない距離ではないのでバスを使うほどではないと思い、路線についても下調べをしてこなかったのだが、よくよく考えてみれば昨日の別府からこっち「歩けない距離ではないから」と言う理由で往復5〜6kmほどの距離を歩くことを繰り返している。今日に限っても、単発では歩けなくもない距離を積み重ねた結果、10kmほどは歩いている計算となる。平地歩行は山を歩くのとは違う性質の負荷が脚にかかる。あすふぁるとの道か、土の道かの違いから来るクッションの差も大きい。

 久留米城の故地には、古くから砦程度のものはあったようだが、豊臣秀吉による九州平定がなったところで、毛利秀包が近世城郭の基礎を築いている。さらに、柳川城に封じられていた時期の田中氏が、支城として久留米城を整備し、この時点で近世城郭としての完成を見た。が、田中氏は無嗣断絶した。後に入ったのが有馬豊氏(島原の旧領主とは別系統で、現在的感覚で言えば有馬温泉の有馬である)で、田中氏の旧領は立花氏との分け取りとなった。城跡には、城郭建築と言える物こそないが、規模の大きな石垣が残されており、今回の旅の中では最もパンチのある城跡だった。この城が最後に来て、まあ良かったと言えるだろう。

 西鉄久留米駅には戻らず、JR久留米駅に移動。そこから博多駅まで在来線で移動し、博多駅のみやげもん市場でお土産を物色した後、新幹線で帰宅の途へ。博多からだと、のぞみの自由席であってもまず間違いなく山側の窓側に座れるのが良い。これがあるから、鹿児島から帰るような場合でもさくら・みずほで新大阪まで行くのではなく、博多で東京行きののぞみに乗り換えるようにしている。

 車中で、天河伝説殺人事件を読了。と言うか、読了も何も、今から二十数年前、小学生だった私が始めて読んだ浅見光彦シリーズがこれである。奥付に「当時と社会情勢が変わっているところもある」との注が付されているが、大きな社会的事件を取り扱った作品でもなく、今読んでもさほど違和感のある描写はない。強いて作中描写をそのまま信じて不都合のある部分があるとすれば、天川村へ路線バスで移動する場面程度のものなのだろうか。最近の同著者の作風に比べると、やはりトラベルミステリーをよく意識していたと思われるところはあるが、そこが新鮮である。

 ともあれ、何となく京都を中核にする予定がある次回の関西周辺旅行についての着想を、この本から得た気はする。そのまま天川・吉野に行くことはないだろうが、高野山・道成寺・信太森の葛葉稲荷と回ってみるのが良いかもしれない。先立つものは、ある。今回の旅では、18きっぷを2回分しか使っていないのだから。






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