春風になびく楊柳

 広島駅を6時前に出る電車に乗るため、4時半ごろに起き、風呂に入って、5時を少し回ったぐらいにチェックアウトを済ませる。この時間帯にチェックアウトする客もそんなにいないだろうに、フロントにはちゃんと従業員がいた。いつも思うのだが、こういう仕事をしている人たちには本当に頭が下がる。まあ昨晩のフロント係は女の子だったのが、今朝はおじさんに変わっているから、当然何交代制かにしているのだろうけれど。

 6時前なら外もまだ暗い。だから表に出ただけでは深夜なのか早朝なのかもよく分からないが、広島の夜の街である薬研掘・堀川町界隈がようやく眠りに付こうとしている事から夜明けの近い事が分かる。ボーイと思しき男性店員に送られる女の子の姿がちらほら見える。おかしな話だが、広島よりも大きな街であるはずの名古屋の夜はこれほど遅くない。名古屋のこの時間は、夜の世界に生きる女性たちの「退社時間」ではなく、仕事終わりの夜遊びを終えて帰宅の途に付く時間帯のような気がする。夜明け前の吉野家で豚丼をかき込みながら考える。この時間帯、牛丼は販売されていない。

 朝飯を食べ終えて、いよいよ駅を目指す。盛り場を離れるととにかく道が暗い。慣れない街だから強盗の類に襲われたりはしないかといっそう不安だ。それでもどうやら無事に広島駅にたどり着くと、夜遊びが過ぎて昨夜のうちに自宅へ帰りつけなかったらしい人々や、もしくは単純に朝の早い人たちがすでに集まり始めていた。この時間帯にしては結構な人数だ。暗い道を歩いてきて人恋しくなっていたので、普段なら何てことない話なのだけれど、ちょっとありがたい。

 さて、今日の第一目的地(あるいは最終目的地となるかもしれないが)は三原市本郷にある新高山城だ。「毛利両川」の片翼・小早川隆景の居城だった。もしかしたら行く事になるかもしれない三原城の方も隆景の城である。ある時隆景は、新高山城から三原城に引っ越したのだ。

 新高山城に行くには、ターミナル駅の性格がある三原駅の一つ手前・広島側になる本郷駅で下車しなければならない。もちろん、乗り込む列車は三原方面行きになる。実際、事前に調べてきた「えきから時刻表」は、三原行きの普通に乗るように指示しているのだが、いざ現場に来てみると、三原方面行きで一番早い列車は福山行き普通のような気配である。福山は三原の先にあり、常識的に考えれば先発の福山行き普通に乗ったほうが後発の三原行き普通に乗るよりも早く本郷に着けるはずなのだけれど、何か裏があると厄介なので「えきから時刻表」のご託宣に従い、三原行きの普通に乗る事にした。

 広島から本郷までは普通列車で一時間ほど。うとうとしながら行けばあっという間の距離だ。本郷駅から新高山城の麓まではのろのろと歩いて約20分。一応城までの案内は道々にあるのだが、決して分かり易くはない。果たして本当に城跡までたどり着けるのか、沼田川の右岸沿いに半信半疑で進んでいくと、一応山道の方をさして「新高山城」としている看板を見つけた。この登山道ならばたぶん一本道であろう。とりあえず、踏み跡をたどって行けば本丸までは行き着けそうである。そう考え、早朝の山道を黙々と登り続けること約30分。どうにか山頂部の本丸にたどり着いた。新高山城は、山城としてはかなりの規模を誇っていたようで、城郭遺構も意外と広範囲に残っている。しかしながら時間的にそれら全てを具に見ていくことは難しく、とにかく城の象徴である本丸部分を目指す。新高山城本丸は、天然の岩場を石垣に模した上に櫓程度の建物が築かれたものだったと考えられているらしい。現在この場所にどの程度の訪問客があるのかは定かではないが、驚いた事に音声案内機まで設置されており、この城の成り立ちについていろいろと説明してくれる。

 21世紀の今日、この城跡の麓には新幹線が走っており、山の土手っ腹にはトンネルが造られている。時折、その通過音が聞こえる。音量は結構大きいのだが、遠くから聞こえているのが分かるくぐもった感じの音になっており、自然に帰りの道のりの長さが思われる。そろそろ戻らなくて大丈夫だろうか。先ほど電車を降りた本郷の駅はあまり大きくはなく、1時間に何本電車が停まるのかわかったものではない。つまり、この旅に先立ってプリントアウトしてきた「えきから時刻表」の案内する電車を乗り逃がしたら、どれほど待てば次が来るのか分からなくなってしまうのである。未だ律儀に案内を続ける音声案内を残し、いそいそと下山へ。

 案の定?本郷の駅には普通列車しか止まらないらしく、停車電車は1時間に2〜3本といったところのようらしい。多少無理して新高山城を早めに切り上げて来て良かった。もっとも、そうして少なからずがんばって捕まえた列車も三原止まりである。この先へ進もうとすると、15分ばかり後の快速を待たねばならない。

 ここでふと考える。この程度の待ち時間があれば三原城を見て行けるのではないか。何しろ三原駅と三原城はつながっていると聞く。そう考え、一度改札を出てみた。すると、駅の構内に三原城への案内がある。さすが駅から至近のところにある城だ。しかし、いざ駅を出て見ると、堀に囲まれた城跡の石垣は見えるのだけれど、その石垣の上へと登るすべが見当たらない。どうやら三原城本丸へは三原駅構内経由でないと移動できないらしい。そのことに気づいて再び駅へと戻ろうとしたとき、ようやく城と駅の関係に気づいた。三原駅は、本当に三原城を侵食して存在している。福山城のような、「隣接」とか「相対」といった生易しいものではない。石垣の上に、コンコースやらホームやらが乗っかっているような状況なのだ。駅の原型が出来たのがどうやら明治期あたりのことらしいが、それにしても見るも無残である。後にホームから見たところでは、城の石垣の上に鉄道線路が乗っかっているようにも見えたのだが…。なお、行きつ戻りつしながらたどり着いた三原城の本丸には、何も残されていなかった。

 こういうわけで、三原駅での待ち時間に三原城を見学するのはさほど難しい話ではない。しかしそれで良いのだろうかと、釈然としない思いはある。この地域の鉄道開通時期がもう少し違っていればまた違った展開があったのかもしれない。あるいは未来に、城跡の保存を優先して駅が引っ越す事もあるのかもしれない。三原城の来し方行く末を思いつつ岡山駅の列車に乗り込み、後はひたすら東を目指して2007年春の旅は終わった。






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