天平の甍

 JR奈良駅に立つたび思い出すのは、最初の18きっぷ旅のときのことだ。小学校の修学旅行以来、十数年ぶり、二度目の奈良入りとなる私を迎えたのは、建替え前の奈良駅舎だった。現在でこそ真新しい駅舎が完成しているが、奈良駅の旧駅舎は歴史的に価値のあるものだったため、その当時は曳家工法によって、建物の形そのままに、現在位置へと少しずつ少しずつ移設されている真っ最中であった。

 2012年初春、JR奈良駅は面目を一新していたが、奈良市内の状況を見渡せば、より交通の便が良いのは近鉄奈良駅前の方なのだと思う。東大寺だって近鉄の駅からのほうが近いし、市内の路線バスも近鉄奈良駅の方を基軸にしていそうなイメージがある。奈良での目的地は、西ノ京にある唐招提寺と薬師寺だが、これだって最寄り駅は近鉄の駅だ。JR奈良駅からだと路線バスを使わざるを得ないのだけれど、果たしてその便数がどれほどあるか。主要観光地なので路線そのものが存在しないと言うようなことはないと思いたいが、いささか不安である。西ノ京方面行きのバス停は、駅を出て左手にあるのはすぐ分かった。ひとまずは手応えを感じ、案内にある場所へと移動する。すると、間もなく意中のバスがやってくると言うのではないか。思ったよりは都合の良い展開に一度は気を良くしたが、どうしたことか、このバスが定刻を過ぎても姿を現さない。定時性でバスが鉄道に劣るのは仕方が無いが、しかし10分過ぎてもやってこない。もしかして、自分は勘違いしているのではないか。不安になり始めた頃、漸う問題のバスがやってきた。

 西の京は、その名の通り奈良市の西に位置する地域である。厳密にどの辺りまでが含まれるのかは良く分からないのだが、旧平城宮に代表される一帯がそうなのだと考えておけば良いのだろう。今日では、京と言うとどうしても京都のイメージが強いのだけれど、ここに限って言えば、京とは平城京のことを指す。もちろん、西の京がこの国の都だったのも今は昔の話。現在では地方都市の郊外地域と言った趣で、見るからに現代的な奈良市の街並みが途切れた、その外縁のような場所となっている。時に、目指す薬師寺・唐招提寺の遠景写真が、天平の昔からさほど変わっていないように見えてしまうのも、ひとえに現代風の高層建築が存在しないためだ。もっとも、現実に路線バスに揺られてこの地域にやって来ると、意外と普通の民家も多いことに気づかされる。

 唐招提寺もやはり、修学旅行以来20年目の来訪となる。が、当時の記憶はほとんどない。どうしても、東大寺や法隆寺の印象が強い。日本史において、鑑真和上の存在した意味と言うのはかなり重要なものだとは思うのだが、それにしても唐招提寺は、小学生の旅行先としてはあまりにも渋い。なんと言うか遊び心がなく、まさに勉強のための見学先と言う雰囲気である。

 三十路を過ぎてやって来た唐招提寺は、天平の情趣の満ち満ちた、優しい佇まいを見せていた。冬の昼過ぎなので、寒気は厳しいが、春の時期に来ればその優しさによって十二分に癒されそうだ。何か、格別に眼を引くものがあるわけではない。今風のパワースポットでもない。が、懐の深いこの寺院は、古代日本の息吹を感じさせてくれる。シルクロードの東の果てと言う、やや紋切り型の感想を抱かせるには十分な、ほのかな異国情緒も、ふとしたところで顔をのぞかせる。

 境内には、修繕を繰り返しながら奈良時代以来残っている建物もあれば、本当に遺跡と言った趣で痕跡だけが残された建物の跡もある。修築工事を終えた金堂の、まさにその工事の様子など、興味を引かれる展示もあった。とまれ、千数百年ものの寺院だ。あらためて、歴史の古さを感じさせられる。

 一通り唐招提寺内を見て回った後、徒歩でも移動できる距離にある薬師寺へ移動。道すがらは、本当に普通の住宅地で、こんなところにかの有名な古刹があるのだろうかと、思わなくもない。それでも一応薬師寺にはたどり着けたが、その飾り気のなさは、とても高名な寺院とは思えず、世間一般にある普通のお寺と大差がない。あまりに素朴なので、ふらふらと目に付いた門から境内に入ってしまったが、その区画は拝観券を購入した上で、順路に沿ってたどり着くべき場所なのだった。それを声高に主張するでもないところは、商売っ気がないということなのか。世間に少なからず存在すると言う、拝金主義的な寺院とは一線を画しているということなのか。

 薬師寺と言えば、「凍れる音楽」とも評される東塔である。ただし、薬師寺では近年境内の建造物の修復工事を順次進めているらしく、私の訪問時期はこれが工事中だった。残念ながら、すでに工事用足場に囲われようとしていた。塔そのものはまだその姿を見せているが、並び立つ無機質な骨組みは、どうしても無粋な物に映る。対する西塔は、近年に再建されたもので、丹の赤い彩が鮮やかである。しかし、幾星霜を経て現在のモノトーン(?)になった東塔が、もともとはこういう極彩色と言っても過言ではない色をしていたとは、俄かに信じ難い。薬師寺境内の、比較的古くから現存する建物は、みな木の肌が露出し、いかにも日本の木造建造物と言う色目をしているが、近年に再建なり補修なりをされた建物は、丹の赤さがまぶしいほどだ。見ようによっては、不調和も覚える。勝手な感想である。

 薬師寺を後にして、先ほどのバス通りまで歩くと、幸い、ちょうど良いタイミングであった。待ち時間もなくバスに乗り込み、奈良駅まで速やかに移動できた。ただ、ここから名古屋まで、関西線で帰ろうと思っていたのだけれど、そちらの乗継が悪く、京都まで戻って琵琶湖線を行った方が、結果的に早く帰れるようである。そこで、一度京都駅まで引き返し、駅ビルでお土産を買ったところで、東京を皮切りに東奔西走した今回の旅も、実質的な終わりを迎えた。ちなみにお土産は、実は自分で買うのは今回が初めてとなる京都銘菓・生八橋だった。

 八橋ではないが、京都・奈良とも、ディープスポットばかりではなく定番スポットにもまだまだ魅力があるのが分かったのが、今回の大きな収穫である。京都は今後も定例的に来ることになろうが、奈良は国道25号を行けば車でのアクセスも比較的容易な範囲となるのも魅力だ。飛鳥、斑鳩、吉野、天川など、奈良県内の各地を旅したことはあるが、いずれにも少しずつの心残りがある。いつかそれらを縦断的に旅して回れたら、良いと思う。







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