鴨川越えて急ごう

 私は結構、京都の街を歩いている。有名観光地まで電車やバスなどで移動し、その周辺をスポット的に歩いていると言うばかりではなく、本当にそこそこの遠距離を歩いている。JR山陰線の二条駅から祇園・三条大橋、京都駅から木屋町、晴明神社から京都駅等々。まあ、連続1時間程度ずつではあるのだが、今日最初の目的地となる、阿弥陀ヶ峰の豊国廟までは、三条小橋付近から、やっぱり1時間程度歩けばたどり着ける距離であるため、今回もまた徒歩で移動することにする。

 オーロラを出た後、高瀬川沿いに先斗町を通り過ぎ、四条通伝いで鴨川を渡り、八坂神社に突き当たる。その先は南進、東山の裾を歩き、国道1号を横切った頃、左手に見えてくる山が、阿弥陀ヶ峰だ。東山三十六峰と呼ばれる山の一つで、豊臣秀吉は死後ここに葬られた。家康が東照大権現として日光に祭られたのなら、秀吉は、豊国大明神という神格となった。豊国神社は全国に何箇所か存在しており、秀吉の故郷たる名古屋の中村区にももちろん、中村公園の一部として豊国神社が存在しているが、歴史的経緯から言えば、ここ京都のそれが、実質的総本社であるということになる。もっとも、秀吉の死後間もない頃こそ、先の天下人の霊廟として人々の崇敬を集めたが、豊臣家が滅亡して徳川の天下になると、敵性神社とでも言えば良いのか、とにかく祭祀を禁じられ、荒れるに任せる状態になった。これが神社として復活の時を迎えるのは、明治時代の到来を待つことになる。

 阿弥陀ヶ峰の山裾が、世に言う鳥辺野である。古来知られた葬送の地で、豊国廟はその奥に位置する。してみると、中世以前のこの地域は、一種の霊域と認識されていたのかもしれない。現在、山上へ続く坂道沿いには学校が建てられ、あまりそういった雰囲気は残っていないが、神社の境内まで進むと、さすがに勝手が違ってくる。気がつけば、目測二、三百段程度はありそうな長い石垣が姿を現していた。踊り場もない、ひたすらまっすぐな石段である。この石段には見覚えがあるのだが、十数年前に放映されたNHK大河ドラマ「秀吉」のオープニングに出てくる石段がこれではないのか。秀吉っぽい子が、一生懸命登っていたあれである。

 決して楽な道のりではなさそうだが、とにかくこの長い石段の攻略に取り組むことにする。荷物の多いこともあって、体が重いのだが、正月の自堕落な生活の影響と言うのもあるだろう。じきに汗が噴出し始めたが、黙々と登る。横を、近所の学校の運動部員と思われる少年が、駆け上っていく。その体力脚力に感心すると言うより、こんなところで足を踏み外しでもしたら、一気に数十段くらい階段を転げることになりそうだなと思った。よくよく考えると、恐ろしい場所である。

 登り切った山頂には、大きな石造りの五輪塔が立っていた。形自体は珍しくないし、明治時代に作られたものなので、そんなに古いわけではないのだが、しかしその大きさは周囲を圧するものがある。

 一座の山として見たときの阿弥陀ヶ峰の標高は、どの程度のものなのかはよく分からないが、何しろ京都の街中と言ってよい場所にある。西側が京都の都心なのだが、反対側に下りて行ったとしても、そこには山科の街並みが広がっている。木立があるので、大パノラマが広がっているわけでもないのだけれど、少なくとも石段の方向には部分的に視界が開けているし、樹間から京都の街を見下ろせなくもない。やはり、高所の感はある。

 最前の高校生たちは、登りにそうしたように、下る時も駆け足で階段を駆け下りていく。相変わらず、転落事故が起きた時のことが心配である。

 阿弥陀ヶ峰を降りた後は、来た道をもう一度引き返し、清水寺の目と鼻の先をかすめて、産寧坂方向へ抜けていった。たまたまガイド本で見かけたのだが、この近辺にお香の店があり、そこで取り扱っている香炉の中に、これはと言うものがあった。清水焼だが、トラディショナルな香炉ではなく、今風の、どちらかと言えばカワイイ系に属すると思われるような逸品で、従って値段もさほどに張らない。思い立って、香道をたしなむため、これを土産に購入。もっとも、同じ店で扱っていたお香の方は、漠然とイメージしていたよりは高価で、総体的には予想外の出費になってしまった。

 たまたまその近くに坂本竜馬の墓があるのを知り、近くまで行ってみたのだけれど、自動改札みたいな入場口が設置され、そこで拝観料を徴収されるシステムになっているのに鼻白んで、きびすを返した。

 これで、ひとまず京都での予定は全て消化した。続いては、奈良へと足を伸ばすことになる。京都と奈良の移動は、多分近鉄の方が便利なのだが、18きっぷ使用の関係で、JR線を使う。







二つの京 TOP 天平の甍








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