驚愕の幕引き

 昼飯にはそのへんの店で高山ラーメンを食う。高山ラーメンといえば良くも悪くも「板蔵」しか思いつかないのだけれど、そことは別のチェーン店(らしい)で食べた。幸か不幸か、各店舗ごとの味の違いが分かるほど繊細な舌は持ち合わせていないが、高山ラーメンの一般的な特徴としては、細めの縮れ面に、魚介で出汁をとった透き通った醤油スープをからめていることが挙げられるのだろうか。昨今流行の、とんこつだの背脂だのと言ったこってり系のスープではなくあっさり系なわけである。一言で言ってしまえば古いタイプの懐かしいラーメンとなるのか。実際、高山ラーメンの歴史はもう数年ほどで50年を数えることになるというような話だった気がする。まあ、そのへんの記憶は定かではない。

 高山ラーメンも決して悪くはないのだけれど、濃い味に慣らされてしまっていると若干物足りなさを感じる。そこでと言うわけではないが、デザートにこれまた高山名物の団子と飛騨牛串焼きを食う。串焼きの方は高級牛肉をちまちまと細切れにして焼くことで供給コストを抑えたもので、それほど食いではないのだけれど、高い肉を食う醍醐味は味わえる。団子の方は、生醤油か何かをかけて焼いた素朴なもので、見てくれは普通のみたらし団子だ。ただし、高山では「みだらし団子」と言うらしく、甘味もない。もち米を焼いた風味と醤油を焦がした風味が絡み合う一品だ。これまたあっさり系だが、好きな人は好きな味だろう。さすが飛騨の小京都と言われるだけあって、高山の味はどれもお上品である。高山は富山と鰤街道で結ばれているので鰤料理もうまいのだけれど、こっちは18きっぷの旅人が昼に食べる料理としては豪勢過ぎる。

 牛や団子の串を手に、自転車を押しながら上三之町あたりの辻を行く。高山の街全体で見れば観光客はさほど目に付かないのだけれど、この一角だけは休日だけあってかなりの人出である。レンタサイクルで観光地めぐりと言うと小回りが聞いて結構なことのように思えるのだが、実際にはそうとばかりも言っていられない。確かに、自動車での移動に比べればその融通のききようは雲泥の差なのだが、こういう人であふれた狭い路地に入り込むと押して歩いているだけで自転車が場所取りになり、それほどのアドバンテージを感じられなくなる。道沿いの土産物屋に入ろうとする時などは駐輪スペースを探すのにさえ苦労するほどだ。高山市にとっては、街中に観光客の車があふれかえり渋滞を引き起こすことになるくらいならレンタサイクルの利用を促進した方がはるかに利する所が多いような気もするのだが、まだ観光客の自転車に対する仕組みが成熟しきっていないような気がする。自転車利用の古い町並みめぐりはどうにも肩身の狭い思いをするので、仕方無しに観光地区から少し離れた一角に逃げ込んだ。中京テレビのお天気カメラがある橋-宮川にかかる柳橋か筏橋だと思うが-を渡って少し進むと、江戸時代後期・天領時代の代官の執政所だった高山陣屋の前に出た。ここは意外なほどに人が少ない。やはり本格的な人出があるのはただの週末ではなく、ゴールデンウィークや夏休み期間などなのであろう。そう言えばこのとき、間もなく始まる春の高山祭・山王祭の準備のため蔵出しされた祭屋台を見かけた。起き抜けなので屋台は化粧前のスッピン状態だったわけだが、祭りの期間中の高山の賑わいは、それは大変なものとなるのだろう。この山王祭は4月14日・15日と開催日が固定されているらしい。おそらく春の18きっぷの有効期限が山王祭のシーズンまで延長されることは、金輪際無いような気がする。

 駅前にて、レンタサイクルを返却する。レンタル料は1時間200円で、総額では800円になったと記憶している。コストパフォーマンスはなかなか良かったと言えるだろう。さて高山駅であるが、この駅にはかなり旅慣れた鉄道マニアでも面食らうような独特のシステムが存在している。それは何かと言うと、駅のホームが閉鎖状態を基本しているのだ。つまり、ホームに列車が入ってくる少し前にならないと改札をしてくれず、乗客は駅舎の中で改札開始の時を待たなければならないのである。どうしてこういうシステムになっているのかは定かではない。ちなみに、ここで書くのが適当なのかどうかは分からないが蛇足の情報として、高山以北の高山本線は、富山との県境・猪谷付近で土砂崩れが発生して以来半年ほどの間通行止め状態が続いている。利用客がさほど多くないせいなのかもしれないし、もしかすると高山駅の独特のシステムと根っこの部分でつながっている話なのかもしれない。なし崩し的に猪谷付近を廃線にはするまいな、JRよ。

 そういうわけで、帰りの列車の発車までに時間が出来てしまい、時間つぶしをかねてお土産の物色を始める。高山駅前には何軒かのお土産物屋があり、さるぼぼだとかつけものだとか飛騨牛だとかのごくオーソドックスな高山土産であれば、どの店でも同じように商っている。価格設定にも特に差異は無かった。多少違いが出てくるのは、クッキーやケーキと言った無難系お土産のラインナップぐらいのものであろう。さて、そうなると逆にどこでお土産を買ったものかと悩ましくなる。悩みながら駅前の道を歩いていると、何やら怪しげな像が視界に飛び込んできた。鬼のようではあるがどこかユーモラスな風貌をしたその像の腕は、全体のバランスを考えるとひどく不調和なほどに上に長く突き上げられ、おそらくは高山を象徴する「高」の字を押し頂いていた。後で知ったところによると、出雲神話に出てくる手名稚(テナヅチ)の像らしい。鍛冶橋ではアシナヅチとテナヅチがセットになっているらしいが、アシナヅチ単体も探せばどこかにいるのかもしれない。なぜ高山で出雲神話なのかはよくわからないが、その像をしげしげ見てると、ものの弾みでテナヅチ像に面して店を構えていたお土産屋の女将さんと目が合ってしまった。これも何かの縁だろうと思って、その清水みやげ品店(せっかくだからちょっと宣伝)に入り、ケーキをお土産に買う。

 そうして、店からは目と鼻の先の距離にある駅に戻ってしばらくすると、美濃太田行き普通列車の改札をはじめると言う構内放送が。どうせまた2両編成ぐらいのキャパシティの無い列車なのだろうから、早めに順番待ちをしておかないと帰りの座席がなくなるのは目に見えているので、さっさと改札を済ませてホームに入る。果たして目の前に姿を現した美濃太田行きは、2両編成のやや草臥れた雰囲気を漂わせる列車であった。他の乗客も考えることは同じなのか、列車のドアが開くと我勝ちに車内へと殺到し、めいめい座席を確保している。私も危ないところで座席にありつくことができ、帰路は美濃太田までのほとんどを眠りながら過ごした。

 2時間余り列車に揺られ、美濃太田で乗り継ぎ下車。夢うつつでホームに立つ。色々あった18きっぷの旅であったが、間もなくそれが終わろうとしている。楽しかったような、しんどかったような、複雑な気分だ。一つ確かなことは、何だかんだと言って私も鉄道のことにだいぶ詳しくなったと言うことであろう。本物の鉄ちゃんにはかなわないだろうが、一般人に対しては鉄道ネタでうんちくを語れるほどに。そんなことを考えつつ一人悦に入っていたまさにそのとき、私の目がとんでもないものをとらえた。つい先ほどまで自分が乗っていた列車には、パンタグラフが存在していなかった。それどころか線路の上方数メートルの位置には、普通ならあって然るべきはずの架線が存在していなかった。あまつさえ、列車は屋根から正体不明の煙を吐いている。実は私はこのときまで、「ディーゼル車」と言うものに対して誤解を抱いていたのである。ディーゼルとは、馬力が必要な坂路の存在する路線において、電気よりもパワフルな化石燃料を動力源として乗り切れるように設計されたハイブリットタイプの電車だと思っていたのだ。しかし実態はといえば、根本的に電車では無かった。ただひたすら重油を燃料に走る鉄道車両だったのである。それで、あの振動・騒音だったというわけだ。どうやら私の鉄道レベルも、まだまだのようである。






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