九州山地を越え

 心優しく見目麗しい女性乗務員の働きに支えられ、人吉までの旅路は快適そのものだった。しかし人吉に着くころになると、車外では雨が降り始めていた。足元はすっかり悪くなっているが、ここでの立ち寄り先である人吉城そのものは市街の外れ辺りにある近世の平山城なので、よほどの大雨でもない限りさしたる影響はない。

 人吉城跡の一部は、現在人吉市役所の敷地として利用されているが、主要な部分は人吉城公園として整備されている。城跡では、主だった曲輪の跡と、石垣の多くは往時の姿をとどめており、「武者返し」と呼ばれる国内でも珍しい構造が現存している。何でも人吉城以外では五稜郭に見られる程度の、西洋系の技術が取り入れられた石積みの工法らしい。一応百名城の一つに選定されただけあってなかなかの規模を誇る城跡だが、今回の旅ではまだまだこれはほんの序の口に過ぎない。今日だけでも、この後鹿児島の岩剣城を攻略しなければならないのだ。

 人吉から先は鉄道での移動が極めて不自由になるため、ひとまずバスで鹿児島空港を目指さなければならない。このバスと言うのがまたJR系のものではないため、乗り場が駅前から少々離れたところにある。道に迷いはしないか不安があったのと、早めに次の行動を開始すれば後の日程が楽になるのではないかと言う思いがあったため、城址見学もほどほどに、早々にバス乗り場となる九州産交の人吉営業所へ移動。が、早めにバス乗り場に着いたのはよかったものの、結局予定の便まで待たなければ鹿児島空港行きのバスが出ないことが分かり、簡素な待合室で1時間強以上の時を過ごす。数時間に一本と言うバスであるためか、一便あたりの利用者はそこそこ多そうだ。待合室にある程度人がたまってきたところでバスが出た。

 バスは人吉市の郊外から九州自動車道に乗る。そこからまっすぐ南下し、深田久弥による日本百名山の一つに数えられている韓国岳を左手に見るようにしながら鹿児島空港を目指す。そうして到着した空港では西郷どんの銅像に迎えられ、ちょっと面食らった。

 鹿児島空港は霧島市にあるのだけれど、基本的には僻地に立地していると言わざるを得ない。ここから鹿児島市内を目指すバスに乗り遅れると、何もない空港にしばし足止めを食うことになる。乗り換えの方法等、若干下調べが不足していたうらみはあったが、滑り込みセーフで鹿児島中央駅行きのバスへ乗り継ぐことに成功。再び九州自動車道にのって、またしばらくは車上の人である。途中の車窓から、今日最後の目的地である岩剣所跡と思われる山の様子が見えた。いや、果たして本当にそれがそうなのか確信を持てなかったのだが、城跡があると思われる辺りに異様に切り立った山容の山があった。本当にあんな山に登れるのだろうか。

 俄かに不安を催してくる一方、前夜、あまり満足に眠れなかったこともあってうとうとして来るが、本格的に眠りに落ちる頃になって鹿児島市内に到着した。以前開聞岳を目指す旅で立ち寄った時は、深夜に入って早朝出発、新幹線に乗り込むために再び戻りはしたものの、市内観光を一切行わなかったのでこの街の様子はほとんど分からなかったのだが、深夜の鹿児島中央駅前の様子から想像していたのよりは、はるかに活気のある街のようだ。しばしばその名を耳にしたことのある天文館あたりの路上には多くの人と車があふれていた。

 これが本当の鹿児島の姿か。しばし感慨に浸ったものの、今日はそんなに時間の余裕がない。駅前に着くや否や電車に乗り込み、岩剣城に最寄の重富駅を目指す。行きのバスから見た感じでは、姶良の町は鹿児島市のベッドタウン化しているのか、意外と開けた印象であり、ローカル駅ながらも重富駅に停車する列車の本数は極端に少ないと言うことも無さそうである。そこは心安くいられたのだが、運の悪いことに、竜ヶ水駅を少し過ぎたあたりで、もともと不順な様子だった空が再び泣き始めた。重富駅に降り立った直後はしとしとと振る程度で済んでいたのだが、白銀坂の麓を通り過ぎる頃になると、突風まがいの強い風までもが吹き始めた。こんな調子で岩剣の攻略は可能なのだろうか。






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