南の国から'09 妥協

 3月13日。長いようで短かった九州一周の旅も、いよいよ最終日である。当初の予定では秋月まで足を伸ばして秋月城、古処山城という二つの城跡を見た後、今度は福岡市の北部、立花山城、名島城を見るつもりでいたのだが、前日までにつかんだ情報によると、どうやら今日は雨模様になりそうだという話。秋月城や名島城はともかく、古処山城・立花山城共に山城である。特に古処山城は極めて高所にあるという。もし天気が崩れたら、とても雨中に探訪できるような場所ではない。

 前夜のうちから、秋月行きは諦めていた。そうすれば早起きせずに済むという懈怠の心が生じたのもあるし、福岡は九州でも訪ね易い場所にあり、今回を諦めても次回があるだろうという打算もあった。結局、7時も過ぎてから寝床を起き出し、のそのそと名島城を目指すことにした。

 名島城は毛利元就の三男・小早川隆景によって築かれた城である。秀吉から高く買われた隆景は、実質的に毛利宗家からは独立した大名として扱われ、天正の終わりごろには筑前を中心に九州北部に広大な所領を持つようになっていた。名島城はその時に隆景の居城として改修された城である。その所在地は、博多駅からもごく近い、福岡市東区にある。

 とは言え、名島城の最寄り駅はJRの駅ではない。地方の私鉄はいまだによく分からないが、どうやら西鉄の名島駅ということになるらしい。そこで、まずは福岡市営地下鉄の中洲川端から貝塚駅まで移動し、そこから名島駅までは西鉄貝塚線で移動する。

 たどり着いた名島駅は、大都市郊外型の小さな駅だった。駅自体の規模も大きくないし、駅周辺が大都市圏で基本的に都市化が進んでいるから、駅前だからといって特に街並みが発達しているというわけではない。どちらかといえばあまり印象には残らない駅だ。名島城跡があるのもこんな平凡な街並みの一角、名島神社のあたりだという。大都市に飲み込まれた古城跡を探すのは、ある意味では朽ちかけた山城跡を散策するよりも困難な場合がある。名島城の場合も、特にこれという目印がないため、周辺住宅地を迷い迷いしながら神社までたどり着いた。

 名島城は水軍の将の城らしく、博多湾に望んで建てられた城である。ここに関しては丹生島城のときのように周囲が陸地化しているというようなこともなく、今もって海沿いの城である。もっとも、城跡らしいものが何一つと言って良いほど残っていない。一応神社の敷地は曲輪跡の名残だという。せいぜい、隆景がこの場所に立ち、何を思ったかに想像をめぐらせてみることが出来る程度のものだろう。まあ、それも城跡の楽しみ方の一つではある。






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