■DATA
 経路
  初日:神領-塩尻-篠ノ井 → 篠ノ井-上田(しなの鉄道利用) → 上田-小諸(しなの鉄道利用) → 小諸-北中込 → 北中込‐佐久平
  乗り放題パス利用区間運賃:4300円

  2日目:佐久平‐小淵沢‐韮崎 → 韮崎‐甲府‐塩山 → 塩山‐甲斐大和 → 甲斐大和‐甲府
  乗り放題パス利用区間運賃:3170円

  3日目:甲府‐茅野 → 茅野‐塩尻‐木曽福島‐高蔵寺‐神領
  乗り放題パス利用区間運賃:4370円
 通常時運賃総額(3日目まで):11840円

 乗り放題パスで賄えなかった交通費
  しなの鉄道乗車券:950円
  上田バス運賃:?円
  北杜市民バス運賃:?円
  甲州市民バス運賃:?円


 神領始発松本行き

 今度の旅先は、長野・山梨である。週末は、山梨にいます。当然中央線が軸の旅となるが、名古屋から出発するより一手早く行動できる、例の神領始発を使った。初日の日程が、わりとタイトなのである。立ち寄り先としては、初日に真田(真田氏本城、真田氏歴史館)、志賀城。二日目に獅子吼城、恵林寺、景徳院。三日目に上原城、尖石縄文遺跡。中央西線から篠ノ井線に進み、さらにしなの鉄道を経由して小海線に入り、小淵沢から再び中央東線に戻って山梨県を甲斐大和駅まで移動した後、再び中央線で神領駅まで戻るという軌跡を、三日間かけて描くわけだ。

 未明の街を自転車で走る。冬場であれば寒くてやっていられないが、秋のこの時期ならまだ未明のサイクリングも許容できる。約1時間をかけて神領駅に到着。東の空が白々と明けてくる頃、乗り込むべき松本行き列車がやってきた。割合に長めの編成だが、最終的に松本まで行くのは前寄り3両だけで、後は中津川どまりなのだという。私はいそいそと前寄り車両に向かったが、意外に多くの乗客がいる中で、ほとんどの客はそういったところには無頓着に、手近の車両に乗り込んでいく。単純に近郊への足にしようという客が多いのか。いかにも鈍行旅という風情の客は、私以外ではただ一人。折りたたみの自転車を抱えた娘さんだけである。大糸線、木崎湖だの白馬だのへと向かうのだろうか。

 すばやい行動開始と言いたいところだが、これだけやって、最初の目的地である上田への着時間は、ようやく11時半少し前といったところである。神領始発を使わない場合、午前中の上田入りは難しい

 前回上田にやってきたのは、2年前の秋のこと。「あゝ野麦峠」に感化され、最初に岡谷へ立ち寄り、小淵沢から小海線に入って佐久海ノ口城を落とし、その後で上田入りしているから、今回とは逆の周回コースを描いている。それにしても、あれから2年とは、早いものである。

 その時の立ち寄り先は池波正太郎真田太平記館だった。今回の目的地とするのも、真田氏がらみの史跡である。さらに遡れば4年前の2008年10月には、やっぱり真田氏にちなむ戸石城を攻めている。上田に来るのはいつも秋だ。なお、真田氏の本城である上田城を攻めたのは2003年の9月で、これは他とは毛色が違って、企画きっぷ旅ではなく、ロングドライブの一環だった。

 前々回に戸石城を攻めた時、恐るべきことに私は、上田駅前で自転車を借り、これで戸石城の登城口まで走っている。もちろんそのときにも真田城の攻略を試みているのだが、結局たどり着けずに諦めている。上田駅から戸石城登城口までは、標高差にして100mや200mは登っていそうな、ひたすら上り坂が続く厳しい旅路だったが、今回は入念な調略の結果、旧真田町行きの路線バスである上田バスが実用に耐えうるものだということが分かったので、これを使って真田の中心部へ。

 同乗客の中には、どうやら歴女っぽい二人連れもいた。前回の真田太平記館の時も歴女っぽい連中はいたが、この辺りは真田のお膝元ならではと言ったところか。彼女らは戸石城の最寄停留所でバスを降りていったが、私はそれよりさらに上の真田自治センター入口停留所で下車。近くにあるゆきむら夢工房と言う施設では、無料でアシスト付き自転車を借りられるのだという。前回来た時、こんな便利サービスはあっただろうか。

 とにかく、自転車を貸してもらい、城跡を目指す。どうもすぐに用意できるのが赤い自転車だけだったらしく、それを気遣ってかわざわざ赤くない物を出してきてくれたようだが、赤い自転車も山県の赤備えみたいで良いのではないかと思いながら、案内されたとおりの坂道を登っていく。戸石城攻めの際、アシスト無し自転車で途中まで登った記憶のある道だが、行けども行けどもそれらしい物が見えてこなかったので、結局諦めたという因縁を思い出す。今回は、こちらで間違いないという確証があるので、とにかく登る。アシストつきなので楽ちんなのだが、かなり距離がある。最終的には真田の目抜き通りのような国道144号付近からさらに100mほどは登ってしまった。恐るべきことだ。

 真田氏本城は、その名の通り、真田氏の名がはっきりと史料に登場する以前に、真田氏が本城としていたと推定される城である。あくまで推定なので、確証はないのだが、城の規模や周囲の城の位置関係からそのような位置付けを与えられている物らしい。いずれにせよ、ある程度古い時代の城ということにはなるため、規模や遺構、土木工事の跡等、さほど大掛かりな物ではない。

 次いで訪ねたのが真田氏歴史館で、こちらは真田氏居館跡に隣接して建てられている。博物館と言うほどには、真田氏にちなんだ古文物が収蔵されているわけではないが、幸隆、昌幸、幸村と繋がる系譜を中心に、幸隆以前、長篠で討ち死にした昌幸の兄・信綱ら、松代藩の開祖となった信之についても、解説が加えられている。本来であれば城より先に立ち寄るべき場所だっただろう。

 真田での行動時間は一応2時間弱を確保していたのだが、それでも少々時間不足で、昌幸の墓があるという長谷寺と、信綱らを弔う信綱寺は未訪となってしまった。見学時間を除けば、真田界隈の主だった史跡は1時間ほどで回れるらしいが。






いつもと違う秋 TOP 血塗られた城








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