尼子七旗

 翌朝。朝一番早い列車で山陰本線を西へ。最初の予定では宍道から木次線に入り、三刀屋城を落としたあと、もう一度山陰線に復帰して温泉津辺りまで進んで福光城を落とし、そこから広島へ行こうと考えていたのだが、これが非常に厳しい。一応、温泉津に近い江津と広島県三次市をつなぐ三江線というローカル線はあるのだが、これは地元民ですらほとんど使わず、企画きっぷ利用の鉄道マニアしか乗らないほどの恐るべき非実用路線らしく、陰陽の移動の役には立たない。結局、特急・新幹線を解禁したとしても、不便な乗り継ぎに泣きながら新山口まで移動して新幹線に乗るしかなくなるのだが、それでも広島入りが22時近くなる。

 もう一つの方法としては、松江まで引き返し、伯備線で岡山(!)まで突っ切った後、やはり新幹線で広島に移動する手もあるが、これだって高いし遅い。

 悩みに悩んだ結果、温泉津に未練は残るが福光城を捨てて、木次からそのまま南下し、陰陽移動を実現することにした。すなはち、備後落合まで木次線を使い、そこから芸備線で…というパターンだが、これも三江線に負けず劣らずのマニア向け路線である。日中、奥出雲おろち号という企画物のトロッコ列車が走っており、これを利用すれば三刀屋城を落とした後、出雲横田近辺でヤマタノオロチ伝説ゆかりの地を訪ねる時間的余裕も出来たはずなのだが、それなりの人気列車らしく、事前に入手しておく必要があるという指定券の確保に動き出した時には、すべてソルドアウト状態だった。もっとも、このおろち号、トロッコ列車の宿命で、壁と言う物がない。夏暑いのは言うに及ばず、晩秋から冬にかけては、吹きっさらしの風が身を切るように冷たいと言うこともありうる。実は当日の朝、20分ほどの乗り継ぎ待ちが発生した宍道の駅は、秋物装備の状態では凍えるような寒さだったため、この薄着で、この認識不足でトロッコに乗り込まずに済んだのは、考えようによっては勿怪の幸いだったのかもしれないと思った。思うことにした。

 紆余曲折はあったが、晴れて二日目最初の立ち寄り先となった三刀屋城は、尼子七旗と言われる、尼子氏の重要拠点の一つである。現在は、公園として整備されていると言う話だが、最寄り駅となる木次駅からでも少し距離がある。甲信においては、このパターンで失敗しているため、できれば近くまでバスで行きたかったのだが、土曜日ともなると路線バス本数もなく、結局歩かざるを得なかった。当然、道中の経路が不安なのだが、気が付くと、駅方向から自転車に乗った高校生が、次々と走ってくる。自転車に貼られているステッカーは三刀屋高校。事前に地図を見て研究したところでは、城跡のわりと近くにある高校のはずだ。彼らに着いて行けば、ミスコースの心配も減ると言うものだが、問題は、やってくるのがなぜか女の子ばかりで、男子はごく希にしか通らないと言うことだった。今のご時勢に女子校生の後を付回す。人、それを不審者と言う。そんなわけでこの案はあきらめ、地道に城を目指すことに。

 幸い、城跡には比較的スムーズにたどり着くことが出来たが、肝心の城郭遺構は少々物足りなかった。おそらく曲輪跡なのだろうと言う平坦地はあるのだが、公園整備工事による物なのか何なのか、判然としない箇所が多く、城そのものの解説も少ない。ただし、三刀屋の町の展望には優れ、一個の都市公園としては成功しているのかもしれない。






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