忘れえぬ日本の面影

 木次駅に戻り、次の列車まで1時間半近くを待つ。駅の前には文化会館なのか商業施設なのか良く分からない大きな建物があるが、基本的には食品売り場と日用品売り場しかないため、時間をつぶすには不向きである。待ち時間の最中、くだんのおろち号がやってきたりしたが、この頃には気温がずいぶん上がってきていたため、おとぎ話のキツネがやったというすっぱいブドウの合理化も出来ず、恨めしい気持ちで列車を見送る。首尾よく乗車券を手に入れた人たちは、実に楽しそうである。もっとも、木次線の列車本数が少ないため、何も考えずにこのトロッコ列車に乗ると、行きは良い良い帰りは…になるらしいが。

 あまりにもやることがないので、近場にあるというヤマタノオロチの首を埋めた史跡(伝説地?)を訪ねてみることに。神話のふるさと出雲には、今に至るまで数多くの神話が伝えられているが、その中でも花形と言えるのが、スサノオによるヤマタノオロチ退治だろう。スサノオは、オロチの生贄にされかかっていたクシナダヒメを助けたのだが、その両親がテナヅチ・アシナヅチだった。今回こうして出雲に来るまで、それぞれ「手の長い人」「脚の長い人」という記憶の仕方しかしていなかった人たちだが、こうして新たな知識を得られると、やはり旅はしてみるものだと思う。

 同じく木次のオロチ伝説の地の存在についても、事前には何も知らなかったのだが、「結構凄い物があるではないか!」と俄然期待が高まった。しかし、よくよく考えてみれば、首を埋めたところに八本の杉が植えられたというこの場所、神代から杉がそのままに成長しているなどと言うこともありえず、農村部によくある小さな村社程度の物であった。

 とにかく、長く苦しい待ち時間だったが、どうにか待ち続けた列車がやってきた。今日、この後はどこにも立ち寄らず、ひたすら広島を目指すだけである。道中には、ヒバゴンで有名な比婆山とか、面白そうなところもあるのだが、そういったところも一切パス。木次線自体、基本的には車窓風景に恵まれないため、持参した「悪魔が来たりて笛を吹く」を読み耽る。中国山地の奥深く、端的には岡山付近を舞台にした作品のイメージも強い金田一物だが、「悪魔が来たりて」は残念ながらそういう作品群からは漏れる。本当にテキトーなチョイスである。

 途中、出雲坂根駅近辺には国道314号線のループ橋があったり、木次線自体もスイッチバックをしたりするのだが、ループ橋は伊豆にもあるし、スイッチバックはこの間乗ったばかりの篠ノ井線や、土讃線にもあるではないか。そんな鉄道豆知識がすぐ出てくるようになった自分が少しイヤだが、車中はどう見ても一般乗客ではない連中が多数を占める割に、スイッチバックに歓声を上げ、盛んにカメラのシャッターを切っているから分からないものだ。

 17時半過ぎ、予定通り広島駅の到着。この定時性は鉄道の専売特許と言えるが、今回はあまりにも予定通り過ぎるのが少々恨めしい。この季節のこの時間帯は、観光するには遅い時間なのだが、食事を済ませて寝床にもぐりこもうと言うには少し早過ぎる時間である。仕方無しに、駅の本屋でこの旅最後の舞台となる京都のガイド本を購入。これで京都の立ち回りを研究することにした。この旅最後のイベントは、10月22日に挙行される時代祭である。これの資料にしようと思ったのだが、京都本はこれまでにも、マップルマガジンだのるるぶだのことりっぷだの、色々買ってきたので、今回は趣向を変えて散歩地図系の本を買ってみた。

 その後、広島最大の繁華街である流川・薬研掘へ。宿は、広島の定宿グランドサウナ一択だったのだが、盛り場に入ってしまうと私が食事を取るような店がない。少し前までは、パルコの辺りに吉野家があったので、安価で安直に食事を済まそうと思えばいつもここに入っていたのだが、いつしかこれがなくなってしまった。そのため、前前回の広島行ではついにお好み村でお好み焼きを食べたのだが、どこか敷居の高い物があり、前回は餃子の王将を利用している。今回、ギリギリまでお好み村にするか王将にするか悩んだが、あまり粉もんの気分ではなかったため、王将を選んでしまった。おそらく明日の夜も王将だろうと言うのに。

 食事を済ませてグランドサウナへ。名古屋に暮らす私が広島のサウナを使う機会などそう多くはないはずなのだが、それにしてはよくここに来ている気がする。そしてその度、毎回宿泊後にもらえる割引券を捨ててしまったことを後悔する羽目になるのだが、今回もやっぱりグランドサウナ難波の割引券しか持っていなかったので悔しい思いをした。この系列は、いわゆる普通の仮眠室もあるのだが、カプセルがあるのでいつもこちらを使う。これを割引できると、コストパフォーマンスがすばらしいのだけれど。

 サウナやルーフガーデンの変わり風呂を堪能した後、荷物一式を抱えてカプセル内へ。今朝はべらぼうに早かったわけではないし、体力を著しく消耗するような旅程でもなかったのだが、そのわりに強い眠気が全身を包んでいる。時刻は20時になるかならないか。そのまま寝てしまってもよかったが、一応、最前買っておいた京都本を参考に、まだ見ぬ京都の面白スポットの研究を行う。その結果、知恩院や青蓮院の近傍、地下鉄東山駅の近くの路地裏に明智光秀の首塚があるのを発見した。さらに、光秀つながりで小栗栖周辺の地図を繰っていると、今度は光秀の胴塚と、以前探して見つけられなかった明知藪の所在も地図に落とされているのが分かった。しかも、今まであまり注目していなかったのだが、地下鉄東西線がこの辺りまで通じているのだった。明後日の時代祭、メインベントとなる時代行列が京都御所を進発するのは正午過ぎの予定だが、それまでの空き時間をいかに潰すか、ここにそのプランが決定した。本能寺(往時から場所は移ってしまっているけれど)を訪ねた後、光秀首塚、光秀胴塚、明智藪と回ろうではないか。それが良い。ここまで計画未定でいた最終日の動きが決まって安心したところで、早めの就寝をした。






尼子七旗 TOP 敗北再び








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