落日の城

 石川県は南北に長い県だ。能登半島の北部から、県庁所在地にして実質的な北陸の中心地である金沢市までの距離は100km以上にもなるが、鳥越城はその金沢の市街からから20kmほども離れている。宝達志水町は能登半島でも付け根付近に当たる、いわゆる口能登などと呼ばれる地域に属するが、ここからでも白山麓まではかなりの距離がある。移動経路で言えば、能登有料でいったん金沢まで戻り、国道8号線で白山市まで進み、そこから国道157号線に入る形となる。157号線は、マニアの間では有名な「酷道」で、白山を突っ切って岐阜県側に回りこむと道路状況は悲惨の一言に尽きる様相を呈して来るが、金沢市から鳥越まで進む限りにおいては別段問題となるような道ではない。むしろこの時は、急激な体調悪化に見舞われ、そちらの方が危機的な状況であった。中央寄りの車線を走っていたことが災いして、緊急避難的に路肩に車を停めるなりして体調を整える事も出来なかったが、しばらく走って沿道のコンビニに飛び込み事なきを得た。しかし、私の体調の回復と引き換えるように、天候は急速に悪化し、今度はバケツの水をひっくり返したような夕立の中を目的地へ向う事になった。

 白山市は、石川県を代表する霊峰・白山にちなんだ市名なのであろう。昔私が金沢に住んでいたころには存在しなかった地名だ。山紫水明の地を連想させる美しい市名なのだけれど、同時にかなり乱暴なネーミングであるとも思う。この市は、確かに白山麓の町村が合併して成立した新自治体なのだが、この合併に参加した自治体の中には日本海に面した沿岸部の都市・旧松任市も含まれていて、白山市の示す範囲が余りにも広すぎるのだ。いや、政治的・市民生活的には白山市の中心部と言える旧松任市域が新市名のイメージから余りに乖離しているため、昔石川に住んでいたが合併のまさにその時に居合わせなかった人間にはどうしても違和感がある。

 もちろん歴史的に白山の山懐に抱かれて歩んできたような地域が白山の名を市名に冠することに特段の異論はない。鳥越城址があるのは、そうした文句なしの白山麓地域に含まれる旧鳥越村である。金沢の南、「白山さん」の名で信仰を集めた白山ヒメ神社からさらに数kmから十数kmほど山間に入ったあたりだ。戦国時代には、当時加賀国と言われていた石川県を席巻した一向一揆の根城とされた城である。猛威を振るった一揆も、この地にまで勢力を伸ばしてきた織田信長を相手に血みどろの抵抗を繰り広げた後は、ここ鳥越城に潰えざるを得なかった。

 「白山麓の城」と評される事の多い鳥越城で、それ自体は間違いではないのだが、私がこの形容から喚起されるイメージと、実際の鳥越城の姿には少なからず食い違いがあった。鳥越城は山城だが、白山に連なる峰に築かれていたのではなく、山間部の完全なる独立丘に築かれていたのだった。これには少々面食らったが、こういう立地がかえって幸いしたのか、往時の建造物の一部が復元されている主郭付近までは車での移動が可能で、あいにくの天候も苦にすることなく本丸にまでたどり着くことが出来た。山頂付近には中世山城の雰囲気が良く再現されており、さらに手取川と大日川によって穿たれた谷間の様子を一望のもとに出来るので気分も爽快である。城があるのは比高もかなりのものと思われる山上だが、独立峰なので見通しが良いのだ。雨はどうにかやんでいたが、谷間に残っていた山霧が何か幽玄な雰囲気を醸し出している。文字通りの修羅場とかした過去がある場所柄から厳粛な気分にさせられた。ふと、城の近くに一向一揆の活動について展示した資料館があるという情報を思い出したので、下山後に近くの「一向一揆の里」に向ったのだが、あいにく午後四時半の閉館時間を過ぎていたため、一揆の歴史を勉強する事はできなかった。







クマー!! TOP 戦い済んで








100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!