■DATA
 経路
  初日:名古屋-丸亀 → 丸亀-琴平 → 琴平-高松) 
  初日通常運賃:7940円

  2日目:高松-阿波池田-高知 
       高知-阿波池田 ※(ムーンライト高知利用・阿波池田にて日付変更)
  2日目通常運賃:4240円

  3日目:阿波池田-京都-名古屋
  3日目通常運賃(JR在来線のみ):7580円

 通常時運賃総額(3日目まで):19760円(途中下車を利用しない場合)


 いい日旅立ち・西へ

 いろいろと不測の事態に見舞われながら、それでもどうにか四国行きの旅が実現の運びとなったのは2005年度最後の日、2006年3月31日のことである。とにかく移動距離を稼ぐために、始発列車で名古屋駅から西へと向かうのもすっかり慣れっこになってしまった。名古屋駅の始発は、ダイヤ改正などがあってもおよそ午前6時前後に設定されているようである。この時間帯では市内の移動を地下鉄に頼ることもままならず、代わりの足である自転車置き場に困るのもいつものことだ。ただ、冬の午前6時は真っ暗だけれど、1週間前に春分の日を済ませた3月末ならば、名古屋駅を出ようかと言うタイミングにはすでにあたりも明るくなっており、その意味では若干心安くいられる。

 名古屋駅を出てから最初の大きな駅が尾張一宮駅だ。もちろん、「大きい」とは言っても名古屋駅の規模とは比べるべくも無いのだけれど、この駅は普通・快速・新快速は言うに及ばず、「しらさぎ」のような特急列車の停車駅にも設定されている。で、一宮駅の次の大型駅が岐阜駅なのだけれど、一宮駅と岐阜駅の間に、木曽川駅というほんの小さな駅がある。本当にどうということもない駅なのだけれど、この駅のほんの少し名古屋側に黒田小学校という小学校があり、その一角には黒田城という城があったとされる。戦国の武将・山内一豊の出生地とも言われている史跡で、現在では往時を偲ばせる残存物は何も無いのだが、黒田城の碑と若き日の一豊を模った銅像が、JR線に面するような形で立てられている。もっとも、快速以上のペースの列車に揺られていると、そこにそういうものがあるのを承知の上で注視していても見落としてしまうような代物だ。

 今度の四国旅を思い立った最大の理由が、ズバリこの山内一豊である。2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」は一豊夫妻を主人公にした物語なのだ。一豊は、同郷の先輩武将であり、雇用主や上司である織田信長・豊臣秀吉などに比べれば圧倒的に地味な人物で、出世街道を派手に驀進して行ったような人ではない。それでも長い年月を勤め上げて、最終的には土佐(高知県)一国の主となったのだから、まあコツコツ型の人だったのだろう。愛知在住の私が一豊にちなんで高知を目指すということは、図らずも彼の出世の足跡を駆け足で追う形になる。

 名古屋駅から京都駅まで、在来線を乗り継いでいっても2時間30分ほどで移動できる。大阪までなら3時間強だ。西への旅を何度も繰り替えすうち、大阪を中心とする関西圏までの距離をぐんと身近に感じるようになった。ほんの3時間程度電車に揺られるのなど、なんとも感じなくなったほどだ。今回の旅でも、大阪までの移動は、心理的にも時間的にもスムーズに行った。トラブルが発生したのは、神戸市内に差し掛かったころのことである。車内アナウンスが、前方の加古川駅だか東加古川駅で人身事故が発生したのだと告げる。私が乗っていた姫路行き(のはずだった)列車は、ダイヤの乱れの影響から三ノ宮駅止まりとなった。

 人身事故。非常に胡乱な響きの言葉である。事故とは言いながら、かなり高い確率で飛び込み自殺のことをさすと思われる。死にたい者が死ぬのは仕方が無いような気もするが、その騒ぎに巻き込まれる第三者はいい面の皮だ。もしかして、「飛び込み」という周囲に大迷惑を及ぼす手段で死を選ぶ自殺者は自分を社会へと追いやった世間への復讐を果たそうとしているのだろうか。海の近い風光明媚な高台にある三ノ宮駅に降り立って、えらく陰鬱な想像をめぐらす。

 それにしても、姫路まで快速列車で一足飛びにと行かなくなると、単純に旅程に遅れが出る以上に話が厄介になってくる。一応、今日一日の乗り換え乗り継ぎはメモしてきたのだけれど、予定が変わればそんなものはただの紙切れだ。果たしてどこの駅で乗換えを行えば良いのか、いや、それ以前にどこの駅であれば乗換えが行えるのか、そのあたりが皆目見当もつかない。滅多な駅に降りたら何時間もそこで足止めを食う可能性が高い。三ノ宮の駅を出てとりあえず姫路までは進む。ここまでは問題ない。姫路駅には新幹線も止まるはずだ。まさか姫路飛ばしをする在来線もあるまいし、当初予定でも姫路には止まるはずだったのだ。さてその先どうするか。網干だの相生だの上郡といった駅名が電光掲示板に表示されている。どうも相生までは進んで良さそうである。

 果たして相生駅は、私と同じように人身事故によるダイヤの乱れのあおりを受けたらしい人々でごった返していた。国道2号線に面した駅で、暇だったので2号線写真を撮影しておいたが、それ以外は本当にどうと言うこともない駅だ。さして大きくもない駅なだけにたくさんの人がいると窮屈この上ないのだが、とりあえずこれだけの人がいるのなら、乗換駅としては正解なのだろう。もっとも、それらの人は当然、私が考えていたのと同じように西へ向かう列車に殺到することになったわけで、岡山駅までは立錐の余地もない満員電車で進まなければならない羽目になった。ちなみに、相生から一つ岡山側に進んだ駅は有年(うね)というのだが、ここも山内一豊ゆかりの地であるらしい。

 やがて、岡山駅に到着。ここから先、山陽道伝いでは広島や九州まで出かけたことがあるのだけれど、進路を南にとって四国へ渡ったことはない。いや、高校の修学旅行の時に車で瀬戸大橋をわたったことはあるし、橋が出来るよりもさらに昔に飛行機で大阪から徳島へと飛んだことはあるのだけれど、電車での旅はこれが初めてだ。






大阪算 TOP 四国上陸








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