こんぴらさん・駆け抜けて1368

 世に「こんぴらさん」と呼ばれているものは、正しくは「象頭山金比羅大権現」と言う。名前からするとお寺のようでもあるのだけれど、話は一筋縄では行かない。「権現様」と言うのは神様の事である。八百万の神々などと言う場合の、日本古来の神様だ。であると同時に、「権現」を名乗る神様は仏教にも帰依している神様でもある。世界でもなかなか類を見ない、神仏習合の分かりやすい形の一つだと言える。

 「権現様」は、仏様が仮の姿として神様の形でこの世に姿を現したものだとされている。日本で言う神様は、キリスト教的な神様のイメージとはずいぶん異なる。粗略にすると超自然的な力で人間にあだなす反面、きちんと祀れば加護を与えるというちょっと「わがまま」な性格をしている。「権現様」もその例に漏れない。広大無辺の慈悲の御心を持つと言う仏様とはえらい違いである。俗な言い方をすれば徳がないのだ。そのために「権現様」の場合、その神霊としてのステージは完成された仏様(と言う言い方もおかしなものだけれど)よりも低く考えられているらしい。ともあれそういう神様(仏様)を祀っている関係で、こんぴらさんには神社ともお寺とも付かないような一面があるが、やはり神社がベースになっているのだろうか。参道で「別当」云々と書かれているのを診た記憶があるから、もしかするとお寺が支配的なのかもしれない。「別当」とは、お寺の中にある神社(「神宮寺」と言う)の管理をする人の事である。「別当」という単語が出てくるからには、こんぴらさんはお寺による神社なのか?わからん。考え出すと本格的に迷路に迷い込みそうである。

  その起源については、インドのワニ神であるクンビーラ(仏法の守護神である十二神将の一人)が訛って金比羅・こんぴらとなったのではないかなどと言われてもいるが、はっきりしないらしい。こんぴらさんは航海の守り神である。ワニは水に縁が深いから水神とされ、その流れを汲む(と言われる)からこんぴらさんが海の守り神として信仰されるようになったとか、往時は瀬戸内を行く船から象頭山が良い目印になったから船乗りたちの信仰を集めるようになったとか、そういった由緒ももう一つ定かではない。とにかく海での仕事で亡くなった人の鎮魂碑があるのはそういった経緯からだ。

碇のモニュメントから少し進むと、大きな山門があった。そのさらに奥では、地元の奥様方(?)が何やらみやげ物を商っていた。今にして思えばこれが「五人百姓」と言うものだったのだろうか。その時は足を止めても冷やかしにしかならないであろう事が目に見えていたので、そそくさと逃げるようにその前を通り過ぎてしまった。

 さらにその先には、長い石畳の参道が続いていた。時期だったのでちょうど桜が満開だった。間もなく16時になろうかと言う時間、だいぶ西に傾いた3月の柔らかな日差しが桜の花びらを照らし出し、神社の境内と言うロケーションにも助けられ、非常に幽玄な雰囲気を醸し出している。西日を受けた石畳からの照り返しがまぶしく前方の様子が分かりにくいのだが、長い直線の先にある石段の上あたりに、大きな建物があるように見える。

 まさしく石段を登った上が金刀比羅宮御本宮だった。左上の写真がそれである。建物の造作はかなり立派だが、山腹に立てられている関係もあってか、規模はそれほど大きくない。全国にその名を知られる「こんぴらさん」にしては少々拍子抜けな感じもする。拍子抜けと言えば、ここに来るまでそれほど多くの石段を登ってきた実感もない。一応は765段を登ってきたはずだし、実際御本宮付近からの眺めは抜群に良い。讃岐平野というのか高松平野というのかは定かではないが、眼下にはなだらかな平地が広がっているのが見える。けれど、体力的にはまだまだ余裕がある。これは奥社まで1368段を登りきらなければなるまい。ただし、夕暮れ間近の時間帯でもある。少し足取りを速めなければなるまい。

 遅い時間帯の関係もあるのか、御本宮を過ぎてしまうと人通りがぱったりと途絶えてしまう。参道も細く寂しい。何となく気持ちに焦りが生じてきて、思わず知らずのうちに歩調も速くなって行く。まさか閉場時間が設定されているとも思えないが、仮にも場所が山であるから暗くなってもうろうろしているような状況は好ましくない。そう考え始めると道行きもあまり愉快ではなくなってくる。良くないことに、御本宮から10分ほど奥に進んだ白峰神社に祭られているのが崇徳上皇と来ているからますます気分が滅入る。崇徳院は保元の乱で後白河天皇に敗れてここ讃岐に流されてきた人物だが、その後の生涯は凄絶の一言に尽きる。朝廷に対する尽きせぬ怨念に身を焼きつつ世を呪い、ついには京に帰ることなく幽鬼のようになって死んでいったと伝えられるが、それほどの因縁のある人物だっただけに死後は稀代の大怨霊となって祟り始めた。金刀比羅宮に崇徳院が合祀されているのもつまり、そういった理由からだ。あまりぞっとしないものを感じつつ、白峰神社の前を通り過ぎる。私の中に邪念があるからか、やけに鮮やかな赤い丹塗りが妙なプレッシャーを与えてくる。何も知らない浮かれたカップルが社の近くでいちゃついているが、彼らが祟りに見舞われるようなことはあるのだろうか。

 御本宮までもそうだったが、御本宮以降奥社までの道のりにもそれほど過酷な登りがあるわけでもなく、とにかく30分ほどで奥社までたどり着いた。これは大体どこの神社にも共通して言える事だが、ずいぶんひっそり閑とした雰囲気のお宮である。特に見るべきものはないかなと言うのが率直な感想だが、近くの岩場に天狗の顔が刻まれているらしい。その時は非常に探しづらかったのだけれど、今になってその時に撮影した写真を見ていると、なるほど、岩壁に天狗の顔が二つ張り付いている。

 奥社まで1368段。ずいぶん登ってきたが、正直言ってここからの景色もご本殿付近からのそれとは大差がないような気がする。体力的には割りと平気な感じであったが、これ以上することもなかったので、そろそろ今宵の宿を取る予定になっている高松まで進む事にした。せっかく香川県まで来たのだから、夕飯にはうまい讃岐うどんの一つでも食べてみたいものだ。そんな事を考えながら下山する。






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