公家大名の城

 四万十市は、2005年に中村市と幡多郡西土佐村が合併して成立した市だ。市対村の合併というと、まず吸収合併を連想してしまうのだが、四万十市に関しては対等合併である。ちなみに、隣接自治体の中には四万十町というのもあって紛らわしい。名前からは、漠然と四万十川の流域なのだろうという印象は受けるが、私は中村市と言われた方がその場所をイメージしやすいクチである。

 そんな感想を抱くのも、私がこの日最後の目的地としていた、市内にある中村城のせいなのかもしれない。この城は、関白家に繋がる名族にして、土佐の戦国時代に勢力を誇った一条氏に始まる城である。現在では、戦国山城らしい無骨さも、近世城郭の建造物も、共になりを潜め、天守閣を模した博物館があるだけの、あまり個性のない城跡となっているのだけれど、高知県内の城としては目ぼしいものの一つであるため、とりあえず訪れたようなものだ。

 中村駅へと滑り込む列車の窓からは、中村城址の小高い山の上に建つと言われる城郭様の建物が見えたので、駅を出た後は大体の見当をつけてその方向を目指す。そんなに距離はないと思うのだが、地理不案内なこともあって、なかなか目的地にたどり着けない。漸う山麓までたどり着いたのはいいのだけれど、城跡までの登山道は、道中にある建物に倒壊の危険性があるとかで、立ち入り禁止になっており、回り道を余儀なくされる。もちろん、ここで強引に進入する訳にも行かず、おとなしく遠回りをして、山頂近くの主郭部跡まで移動した。事前の調査が徹底していなかったこともあり、予想外に石垣が残っているのを発見してそれなりの充足感はあったのだが、博物館の方には入ることが出来なかった。まあこちらは、移動が速やかに行っていたとしてもどうにもならなかっただろう。夕映えの四万十市立郷土博物館を撮影して、山を下る。

 ここで再び中村駅に戻り、今晩の宿がある高知市まで戻ることになるのだが、さてどうやって移動するか。鈍行で移動してもそこまで遅い時間にはならないはずなのだが、あくまでホテルのチェックインについては問題ない程度の時間に帰り着ける、という話である。今晩に限っては夕食に鯨を食べてみたいという下心がある。一応、候補となる鯨料理店としては、居酒屋の酔鯨亭か、ひろめ市場にある千松を見繕っていたのだが、共に飲み屋の類とは言え、極端に遅い時間帯にも入りづらい。そこで再び、特急利用を選択する。もともとは必要最低限の特急利用に抑えようとしていたのだけれど、どうも高知県内は普通列車の本数が山陰並みに少ないらしく、どうやら中村から高知まで特急に乗り続けないと意味がないようだ。出費がかさむが、泣く泣くそのようにする。






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