たぎる薩摩の風が吹く

 翌朝。いつもの旅ほど、早起きしなければならない事情も無かったが、6時に起床。二度寝しないよう、何となくテレビをつけると、ちょっと気になるナレーションが始まった。「南の国・鹿児島では、古来よりボッケモンと呼ばれる精霊たちが、人々と共に暮らしていた」。それにあわせ、鹿児島県の地図の上に、何かのキャラクターを象ったシルエットが次々に現われていく。鹿児島押しであるあたり、全国ネットの番組ではなさそうだが、「ラブリーパブリー」の鹿児島版のような、鹿児島ローカルの情報番組か?そう思い画面を注視していると、ヒーロー物の様なテーマソングが流れ始め、甲冑姿の男(?)が現われた。起き抜けだったが、私の頭はすぐに事態を理解した。これは「琉神マブヤー」や「超神ネイガー」のようなローカルヒーローの番組なのだ、と。誇り高き薩摩の殿様・島津氏の家紋である「丸に十文字」を胸に抱く彼の名は、「薩摩剣士隼人」。

 さすがにこれまでのストーリーが分からないため、詳しい設定は見えないのだが、振るっている剣は示現流の太刀筋なのだろうと言うのは、何となく想像がつく。中の人は本当に示現流の心得のある人なのだろうか。そんなことを思いながら、必死にあらすじを把握しようと努めたところ、どうやらイッシーが悪くなってしまったため、それを元に戻そうとしているらしい。開聞岳が綺麗だなあ。

 番組に出で来るのは、エキストラの人たちを除くと、基本的にはご当地ゆるキャラの着ぐるみ=ボッケモンばかりなのだけれど、一般人以外で唯一(唯三?)生身の姿で出演している三人娘は、「プリモゼ」というらしい。「もぜ」とは、薩摩弁で「かわいい」の意味である。昨日得た新知識が、まさか一晩眠っただけで役に立とうとは。「プリ」はプリティのプリか?とにかくがんばれ!プリモゼ!

 「隼人」を見終えて、久しぶりに胸が熱くなったが、これから先、番組の展開をリアルタイムで追っていけないのが残念である。とにかく名古屋に帰ってから番組のホームページを見たところ、隼人は、「鹿児島の自然を愛し、伝統文化や特産品に目がない」らしい。私も、本場のさつま揚げは好きである。そしてやっぱり示現流の達人らしい。一応、公式サイトがYouTubeに各回の動画をアップしており、これらを見ていると、鹿児島の名所・名物、風習等がこれ見よがしに頻出し、とても興味深い。

 敵は鹿児島を世界の笑いものにしようとしている「幻魔神狐・ヤッセンボー」。鹿児島が世界の笑いものにされるとしたら、薩英戦争以来の危機的状況と言わざるを得ない。ちなみにヤッセンボーを呼び出すのは吉野狐のボッケモン「コンコン」らしい、吉野狐が何なのか、もちろん分からないのだけれど、「大石兵六夢物語」というのに出て来るらしい。「兵六」って、「兵六餅」の兵六か?鹿児島に関する知識が思わぬ形で深まっていく。

 「隼人」は、15分番組である。ジェットコースターのような展開に振り落とされまいとしているうちに、番組は終わった。エキストラの人たちが多かったので、列挙される出演者名が、読み取れないほど小さいぜ。

 概括すれば、お国自慢や郷土愛といったものを、子供向け番組の体で強引に纏め上げ、その強引さを笑いに昇華した、なかなか良い番組だった。望外の面白体験に出会い、すっきり目も覚めたところで、今日の行動を開始する。

 前回、昨年春の鹿児島旅行は、本来ならば鹿児島本線の途切れる八代まではもちろんのこと、その先も肥薩おれんじ鉄道経由で鈍行旅をするはずのものだったのだけれど、東日本大震災の余波で、沿岸部在来線が運転見合せとなっていたため、開通初日の新幹線を利用することになったものである。そのため、未消化となった計画があり、今日はその回収のために動くのがメインとなる。

 懐かしき三セク、肥薩おれんじ鉄道は、その名の通り鹿児島県(薩摩)の川内市と、熊本県(肥後)の八代市をつなぐ路線だ。古く国鉄時代には、鹿児島本線の一部だったのだが、日本各地によくあるように、不採算路線としてJRの経営から切り離されたものだ。その背景には、まさに昨春全線開業した九州新幹線の存在がある。法律上JRは、新幹線を整備すると、当該区間を併走する在来線を廃止しても良くなるのだという。青森に青い森鉄道、岩手にIGRいわて銀河鉄道と言うけったいな名の私鉄が生まれたのも、その関係である。そう言えば、今は北陸新幹線の整備に沸いている古巣・北陸地方も、これの開通によって北陸線のかなりの区間が同じ運命をたどることになるだろうところまで考えが回っているのか、疑問に思うことがある。

 三セク化後のおれんじ鉄道は、経営の維持には苦労も多かろうが、地域住民に密着した生活の脚として運行しており、また観光客に向けては、絵に描いたようなローカル線として、スロートラベルの実践に勤めているようである。沿線中多くの区間を東シナ海に臨んで走る車中では、しばしば車窓風景に関するアナウンスが流れる。JRの列車でこの種の車内放送が皆無と言うわけでもないが、それほど多くあるものでもない。思い起こせば、18きっぷ旅を始めた私が、初めての長距離遠征で鹿児島を目指した時に利用したのが、このおれんじ鉄道だった。その点からは、存在それ自体に対して感慨深いものもある。

 なお、おれんじ鉄道は18きっぷの提示者に限って、「おれんじ18フリーきっぷ」と言う乗り放題きっぷを販売している。価格は2000円で、八代‐川内間を普通に乗り通した場合の運賃よりも、割安である。

 おれんじ鉄道の列車に揺られること2時間近く。すでに熊本県に入った芦北町にあるのが佐敷城だ。城としては無名に近いが、近年の発掘調査で、かなり保存状態の良い石垣が見つかり、国の史跡に指定された城跡である。城自体の規模は、国主級の居城のようなことはないのだが、発掘部分+復元部分の二段構成で、ある程度の面目を誇る石垣が整備された城跡である。おれんじ鉄道沿線で適当な城がないかと物色している中で見つけた。

 歴史的には、その帰属を巡って相良氏などが係争の場としたこともあるようだが、現在見られるような遺構を整備したのは加藤清正だったようで、上司である豊臣秀吉をして堅城であると言わしめたようである。文禄の役の際には、島津氏の家臣であった梅北国兼が、どういった事情からか、清正の持ち城となっていた佐敷城を奪い取っている。この一揆騒動は、後に島津歳久の首謀によるものとされ、当主義久が実の弟である歳久を、追討せざるを得なくなると言う事件もあった。

 雨が降り、石畳で足元の滑る中、どうにか登り切った山上にあった石垣群は、なるほど、見応えのあるもので、上部建築物は何もないのだけれど、犬走りなんかがあるのもわかる。芦北町としても自慢の城跡らしく、ライトアップの設備も備えているようだ。






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