最果てへ

 最後に目指すのは、この世とあの世の接する場所、霊場恐山である。青森市の外れに位置する浪岡城からだと車で2時間半ほどの道のりとなる。東北自動車道、みちのく道路を乗り継ぎ野辺地まで移動した後、現段階ではまだ無料供用中らしい下北半島縦貫道路に入り、野辺地北ICまで進む。いよいよ道路上の案内標識にも「霊場恐山」の表記が現われるようになったが、まだ40km〜50kmほどの距離があるようだ。このまま全区間高速道路で進めれば好都合なのだが、そうは問屋がおろさないといったところか。野辺地北部辺りまでは信号もなく快調に流れてきたものの、ここから先は一般国道に頼らざるを得ない。

 国道279号をまっすぐ北上。通称はむつはまなすライン。もっとも、はまなす揺れるシーサイドかと言えば、それほどはまなすが目立つ道でもなさそうだ。幸いなことにこちらも、最前までの自動車専用道路と同様、感動するほどに信号のない道である。田舎道だから交差点数は多くないだろうと思っていたが、それにしても停車の場面が見当たらない。強いて言えばJRの大湊線と何度か踏み切りで交差するため、その際には一旦停止しなければならないのだが、列車本数が少ないので遮断機の前で待ちぼうけを食わされることもない。仮にも国道でありながら、立体交差ではなく、踏み切りというのが田舎道らしい。

 このあたりの道には、能登半島の道路にも似た雰囲気があるが、下北半島は、能登半島ほどの過疎地ではないようで、沿道あちこちに人家や街並みが見られる。最果ての地・下北半島北端部を目指す道としては、もう少し侘しいくらいの方がムードがあるような気さえする。現在のところ、野辺地北まで利用した下北半島縦貫道路をむつ市辺りまで通そうという計画が存在しているようだが、これだけ流れの良い国道があると、その種の自動車道が完成したとしても、さほどのアドバンテージは発揮できまい。なお、国道279号は、地図で見ると海岸線近くを走っているようにも見えるが、防風林としての林なのか、木立に遮られて海はほとんど見えない。

 渋滞とは無縁の国道だが、むつ市街まではやはり1時間以上がかかった。そうしてたどり着いたむつ市は、想像していたよりも開けた街だ。地勢的には行き止まりと表現せざるをえない場所、同じような地理的状況にある街は、やはり能登半島の珠洲市などを代表格に、いくつか通ってきたことがあるが、それらに比べると、人も多く、活気がある。恐山は、このむつ市街を通り抜けた反対側に位置している。

 恐山は、高野山や比叡山と並んで日本三大霊場の一つなのだそうだ。今回恐山を訪ねたことで、この三霊場のコンプリートは果たしたことになる。それを踏まえ、比叡山の時にはさほどの感動はなかったのだけれど、恐山は本物の霊場である。高野山・比叡山に比べると割と範囲が狭いような気もするが、高野山の時と同じように霊場としての説得力がある。ただし、高野山と恐山では風合いがぜんぜん違うのもまた事実だ。高野山を魂の還る場所、霊魂の眠る地とするならば、恐山は生きながら彼岸を覗ける場所と言ったところか。

 奪衣婆と懸衣翁の前をやり過ごし、三途の川を渡って、霊場の中心部に向かう。聞けば奪衣婆の方は、亡者の衣を剥ぐ仕事がいやになり、三途の川(正津川)の洪水に乗じるなど、あのてこの手を使った結果、今は河口近くに祭られているのだという。

 地質学的観点から言って、恐山と言う単独の山は存在しない。一般には、カルデラ湖である宇曽利湖の周辺に存在する、この世ならぬ雰囲気をたたえた火山地形をあの世に見立て、菩提寺と言う寺号のお寺が統括する形で、霊場となしている。ちなみにこのお寺が、禅宗のお寺なのだそうだ。地獄と極楽が並存する霊場地帯に入るため、菩提寺にお志を出し、その山門をくぐる。境内に入る前後から、風に運ばれ硫黄のにおいがしてきた。左手には、漂白されたように白い丘が見える。これが、目指す地獄である。

 火山地形を○○地獄と表現しているものは、全国各地の観光地で見かけることがあるが、恐山にも同じようなものが存在している。もっとも、本来信仰から発生したものなのだろうから、まるで浮ついたところがない。一応、観光客向けなのだろう「無間地獄」とか「重罪地獄」とか言った地名板も立っているが、各地獄間で何ほどの違いがあるのか判然としない辺りに、純然たる観光地獄との差を感じる。硫黄のにおいが立ち込める地獄には、テレビなどでよく見かけた原色の風車が点在し、微風にも回って、乾いた音を立てている。また、そこここにお地蔵様が立っているのも地獄らしい。ところどころには、真摯な信仰か、観光客の興味本位かは定かではないけれど、お賽銭よろしく硬貨が置かれたエリアもあるのだけれど、これが火山ガスでボロボロに腐食しており、そういう意味でのおどろおどろしさもある。30分ほどをかけて地獄巡りをした後、宇曽利湖に面した極楽浜に出た。ここも真っ白な浜だが、目の前に白ばかりが広がる風景を歩き続けてきた中で、湖の青さが印象的だ。

 鬼哭啾啾と言うと語弊があるが、硫黄の臭いが立ち込め、どこかこの世ならない雰囲気のある恐山には、時間の許す限り長居してしまったが、この世とあの世の橋渡し役をしてくれるイタコには、ついぞ出会うことが出来なかった。恐山の名物のようにして人口に膾炙しているイタコだが、ほとんどは恐山に常住しているのではなく、普段は東北地方を中心に日本各地に暮らしており、時期になると恐山での大祭に参加しているような感じらしい。有体に言えば、恐山はイタコの集会場なのかもしれない。

 それにつけても、青森での痛恨のミスは、キリストの墓をもらしたことである。これは、時間的余裕がなかったのでどうしようもなかったので、次回への宿題と言うことにせざるを得ないのだが、それにしても恐山に長居をしたため、八戸への戻りが予定外に遅くなってしまった。

 恐山から八戸への戻りが遅くなったのに伴い、二日目の宿となる仙台への移動も、玉突き式に遅くなってしまった。八戸と仙台をつなぐ新幹線は、1時間に1本程度しか走っていない。加えてどういう了見なのか、東北新幹線は、全席指定だとかで、当初乗るつもりでいた18時台の列車に乗れなくなってしまったばかりか、2時間ほども遅い20時過ぎ発の列車に乗らざるを得なくなり、結果19時過ぎに仙台入りの予定だったのが、22時に辛うじてホテルへのチェックインを済ますという状況になってしまった。

 二度あることは三度あるというのか。東北三大祭は時期的に極めて接近したタイミングに行われるものらしく、なんと秋田・青森に続いて、仙台も七夕祭りの期間中なのだった。19時台に仙台に着いていたならば、七夕祭りには参加できていたはずである。それを思うと、青森での日程消化のもたつきが今更ながらに悔やまれる。私が仙台に着いた時には、その夜の祭りはすでにお開きとなった後で、まさに後の祭りといった風情であった。居酒屋以外の飲食店の多くも閉店時間を過ぎており、仙台の名産品を食べることもまた出来ず、ホテルの自室で、せめてさとう宗幸を聞きながら仙台の風潮を高めつつ、コンビニのそばをすする夕餉となってしまった。







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